2019年6月11日、納屋橋ほりわりあとを発見。ばしょは堀川東岸の天王崎橋(てんのうざきばし)と納屋橋(なやばし)の中間あたりで、堀川を開削した福島正則(ふくしままさのり)の銅像のとなりにある。
◇ ◇
納屋橋ほりわりあと - 1級河川堀川
江戸時代、この地には尾張藩の藩倉がたちならんどった。1907年、この名古屋港は国際通商港として開港し、諸外国との貿易がはじまった。当時、堀川の水運を利用し、おおくの輸出品が名古屋港に集結された。輸入品も、名古屋港から名古屋のまちへ堀川をのぼるふねによってはこばれてきた。輸出入品のにもつをつみおろしする拠点として、納屋橋河畔にT字がたのほりわりが掘削された。水路はいしぐみの堅牢なもんで、1945年名古屋くうしゅうで倉庫が消失するまで活用された。倉庫がたちならぶしきちは天王崎町(てんのうざきちょう)、竪三ッ蔵町の1万5百余坪におよぶ広大なもんだった。
◇ ◇
なるほど、近代になって名古屋港が開港して外国貿易がはじまって、堀川のとちゅうに貨物用のみなとをつくったってことだ。周囲に尾張藩以来の倉庫群がたちならぶ、この納屋橋河畔にT字がたのほりわりをつくって、輸出入品つみおろしの拠点にしただ。
◇ ◇
納屋橋ほりわりあとの現況 〔2019年7月12日、ついき〕
2019年6月26日、現況をかくにんした。納屋橋ほりわりのいりぐち部分がいまものこっとる。
写真おくからふなつきばがあって、ほのてまえに福島正則の銅像と納屋橋ほりわりあとの説明がきがあって、ほのてまえが納屋橋ほりわりのいりぐち部分だ。東岸の護岸が南北りょうがわから陸地内部のほうに湾曲していっとる。
いりぐち部分を正面からみたとこ。
いりぐち部分をひだり45度からみたとこ。