きのもとの牛馬いちと山内一豊の名馬

2022.6.9 (48) 木之本 - 馬宿平四郎 2000-1500

北国街道きのもとじゅくじゃあ昭和のはじめまで牛馬いちがひらかれとっただなけど、おっとのためにへそくりをはたいて名馬をかいあたえた、山内一豊のつま千代のはなしもここでのことだった。馬宿平四郎のみせのまえの説明がきにつぎのようにかいてある。

2022.6.9 (49) 馬宿平四郎 - 「木ノ本牛馬市」 2070-1000
きのもと牛馬いち
室町時代から昭和の初期までまいとし2回、この地区20軒ほどの民家をやどとして、伝統の牛馬いちがひらかれた。藩の保護監督もありじもと近江をはじめ但馬、丹波、伊勢、美濃、越前、若狭などから数百頭以上の牛馬があつまり盛況をきわめた。あきないの方法はかいてがうりてのそでのなかにてをいれ、双方がゆびをにぎってかけひきをし、商談が成立すると両者がてをうち周囲にいあわせたひとたちも拍手をして成約をいわった。この牛馬いちへはよい牛馬があつまるようになりうしはにぐるまひき、農耕用にと、うまはおもに武士たちがかいもとめた。なかでも摺墨の名馬山内一豊のつまがおっとのなんかのときにとそなえとった金子(きんす)でうまをかいもとめあたえたことは「つまのかがみ」といわれとる。
一豊はこのうまでてがらをたて主君秀吉公より伊香のこおり黒田村、大音村、西山村などの地を拝領しこの地を知行した。のちに土佐20万石の城主となった。
摺墨の名馬は江州きのもとむら「馬宿平四郎」からでたといにしえから当家にいいつたえられとる。
江州きのもとむら
馬宿平四郎

2022.6.9 (50) 「山内一豊が名馬を購入した馬宿平四郎」 1440-1110
山内一豊が名馬を購入した馬宿平四郎
織田信長につかえはじめたころの一豊は、非常にまずしかった。あるとき、一豊がひとめぼれするような名馬を商人がうりにきたが、だいどころ事情はきびしく、高価なうまをかう余裕などなかった。ほのはなしをきいた千代がじぶんのかがみばこのなかからさしだした黄金10両で名馬を購入した一豊はうまぞろえのばで信長のめにとまり、「まずしくとも武士のたしなみをわすれんこころがまえはすばらしい」とほめられ一豊のなは天下にしれわたった。

〔2022年6月ここのか訪問〕