ふるいの愛染堂の資料としてつぎのようなもんがある。
〔お堂のなかの由緒がき〕
〔古井の史跡〕
〔あんてな2013年ふゆ号〕
〔新編安城市史〕
お堂のなかの由緒がき
お堂のとびらをあけるとひだりうえに額があって、ここに由緒がきがある。
由緒
愛染堂はいまより4メートルほどたかきところにあり、1891年(わたしのうまれたとし)、濃尾地震のみぎり全壊したるにより地盤を4メートルほどさげて現在のばしょへ再建したるものなり。さげるばあい本堂したより太刀、刀剣そのほかなど出土したるにより現在の本堂したにうめたり。かえりみれば平地に高台の地をきずき守護神愛染明王をまつりたる豪族の勢力の強大さが追憶される。おしいかなそのなを不伝不詳なり。ああ、后世のため由緒をしるして后昆につたえむ。
1983年8月26日
名誉市民勲5等、93〇、岩瀬和市、号汗堂
古井の史跡
2011年3月、古井町歴史研究会編集、古井町内会発行の『古井の史跡』に、愛染堂と愛染古墳のことがのっとる。
古墳のうえにたつお堂です。堂内に由緒がきがあり、ほれには1891年濃尾地震により倒壊し、まえよりひくい現在のばしょに再建されたとあります。
みす(御簾)のおくには、30センチほどのちいさくてまっかな愛染明王(あいぜんみょうおう)がすわっております。
祭日はまいとし8月第3にちようびです。
古井町公民館のにしにあり、古墳時代前期から中期の古墳です。直径24メートル、たかさ6メートルほどあったおおがた円墳で、頂上の愛染堂(あいぜんどう)には1983年に作成された由緒がきがあり、鉄刀など出土とあります。階段したのいしは石室(せきしつ)の資材ですから、石室のある古墳とおもわれます。
あんてな2013年ふゆ号
あんてな2013年ふゆ号に、歴史のさんぽみちとして愛染古墳がとりあげられとる。
新編安城市史
新編安城市史第10巻考古の298ページと299ページに愛染古墳のことがのっとる。