誓願寺の由緒がき - 2020年1月にじゅうよっか

2020年1月にじゅうよっか、姫小川の誓願寺を訪問。由緒がきのいしぶみをかくにん。

2020.1.24 (10) 誓願寺 - いしぶみ 2000-1500
小松山誓願寺
宗派:浄土真宗大谷派
由緒:649年、孝徳天皇皇女綾姫さま当地に漂着され、さとびとにむかえられこの地にみやをきずきてすみたまう。姫は念持仏聖観音菩薩を蓮花寺に安置しまつりたまう。681年、薨(こう)ぜられるやその菩提のため蓮花寺をいとなみしひと、すなわち義峯大徳(693年逝去)にして誓願寺の開基とつたえられる。以来天台のてらとして代をかさねてきたが、22世了意上人が1468年蓮如上人の弟子となり浄土真宗に転じて現在にいたる。また、応仁の乱世に内藤氏が三河にくだり、姫の地にも居館をかまえたとつたえられ、当寺を菩提寺として清長、重清はこの地にほうむられ、一族のはかとともにあんじょうし指定文化財になっておる。
39代義鳳はてらこやをひらき子弟の教育につくされたが、1871年の大浜騒動真宗護持のため法難にあわれた。このたび境内墓地の造成と周辺整備の完成を記念し法灯をながくのちのよにつたえんがため、つつしんでこれをしるす。
合掌

◇            ◇

649年、孝徳天皇皇女綾姫が姫小川に漂着してすむ。綾姫がなくなって、ほの菩提をとむらったひとが誓願寺を創立したってつたえられる。1468年、天台宗から浄土真宗のてらにかわる。39代義鳳が1871年の大浜騒動で真宗護持のため法難にあう。


小川志茂城あとのいしぶみ - 2020年1月にじゅうよっか

2020年1月にじゅうよっか、本城公園にある小川志茂城(おがわしもじょう)あとを訪問。説明がきのいしぶみをかくにん。

2020.1.24 (7) 小川志茂城あと - いしぶみ 2000-1500
本城の由来
本城公園の一帯は小川城のあとで、いまからおよそ500年のむかし、1446年、石川政康が築城し、そのこ康長春重の3代の居城となったところであります。石川氏の一族は代々松平氏(のちの徳川家)につかえ、清兼康正家成数正の諸将は岡崎城代をつとめた歴史上有名なひとびとであります。小川城のきた、的場(まとば)の地は、織田軍と松平勢とのいくさのおりに石川一政が戦死したところでもあります。そのご、石川氏のやかたのあったところを康正とよび、しろあとは郷土の史跡をしのんでか、本城といいつたえられてきました。
1977年7月
文化財保護委員鈴木和雄氏記

◇            ◇

1446年、石川政康が築城。政康から康長、春重3代の居城。一族のうち、清兼、康正、家成、数正は岡崎城代をつとめる。しろのきた的場は織田と松平のいくさで一政がなくなったとこ。石川氏のやかたのあったとこが康正、しろあとが本城っていいつたえられてきた。

本城公園と蓮泉寺の位置図(あきひこ) 840-700


東端城あとのいしぶみ - 2020年1月にじゅうよっか

2020年1月にじゅうよっか、東端城あとを訪問。説明がきのいしぶみをかくにん。

東端城あとのいしぶみ

2020.1.24 (2) 東端城あと - いしぶみ 2000-1500
東端城と城主永井伝八郎直勝
東端城は1580年、大浜郷にて羽城の司令をつとめる長田久右衛門重元の長子長田尚勝(おさだひさかつ)がきずいた。しろの構造は居城館から郭内城へうつりかわる過程にある代表的な城郭であった。蓬左文庫(ほうさぶんこ)蔵の「東端城えず」にみる東端城のすがたは連郭構造の大規模なつくりであったようにえがかれておる。東端城が歴史のおもて舞台にでるのは尚勝のおとうと直勝(なおかつ)によってである。直勝は13才のときに家康の長男松平信康につかえたが、1579年に信康が自刃すると大浜へかえり蟄居(ちっきょ)しておった。しかしそのご18才のときには家康につかえるようになり、禄30貫をたまわった。このとき姓を長田から永井にあらため永井伝八郎直勝とした。1584年、直勝22才のとき、ういじんとして小牧長久手のたたかいに出陣した。ここでかれは、敵将池田勝入斎恒興のくびをとる大殊勲をたてた。これにより東端村1,000石の地をたまわり、あに尚勝にかわって東端城主となった。そのご関ヶ原のたたかいでも戦功をあげ、従来の領地に城ケ入村(じょうがりむら)、高取村(たかとりむら)をあわせて4,050石、さらに上総(かずさ)のくに、近江(おうみ)のくにで6,000石、合計10,050石となった。
さらに大阪なつの陣では、豊臣秀頼切腹みとどけの大役をつとめた。この功績でこれまでの領地をあらため、上野(こうずけ)のくに小幡で10,000石、近江のくにで2,000石、笠間(かさま)近在で20,000石、合計32,000石を領有し常陸(ひたち)のくに笠間城主となった。このとき東端城をはなれ、以后このしろは廃城となる。直勝はそのごも業績をあげ、1619年に常陸のくに新治郡(にいばりぐん)柿岡、土浦両所にて20,000石、さらに1622年にはあらたに下総(しもうさ)国内で20,000石をくわえ、合計72,000石を領し、下総のくに古河城主となった。そのかん直勝は江戸にて評定所の奉行をつとめたが、1625年、63才で没した。

◇            ◇

築造が1580年。はなから松平勢力の支店としてきずかれとる。城主はすぐにあに永井伝八郎直勝に交代。直勝は有能で、のちに転じて笠間城主、古河城主になっとる。これにともなって東端城は廃城になる。

あんじょうし教育委員会の説明かんばん

2020.1.24 (5) 東端城あと - 説明がき 1520-1140
あんじょうし指定史跡 - 東端城址
1963年10月ついたち指定
1580年、長田尚勝がこのしろをきずき、1584年ごろ、尚勝のおとうと永井伝八郎直勝の居城となりました。しろの構造も、居城館から郭内城へ移行する時期の代表的な城郭といわれております。
1615年、直勝が常陸のくに笠間に転じたため廃城になりました。
郷土の文化財を大切にしましょう。
あんじょうし教育委員会

◇            ◇

廃城になったのは1615年。35年間のしろだった。


藤枝宿からかえる - 2020年1月21日

みやげにサッカーもなかをかった府中屋から、にしに白子(しろこ)バス停まであるく。スナックたんぽぽのまえだ。バスをまつあいだ、あるたてもんのかべに説明がきのかんばんがあるのを発見。「徳川家康ゆかりのまち、本能寺の変、伊賀ごえ、藤枝白子町たんじょうから430余年、1586年ご朱印状、徳川家康公をすくった小川孫三」とかかいてある。本能寺の変がおこって、徳川家康が河内のくにから三河のくににかえるのをてだすけした伊勢白子の小川孫三が、藤枝のここにすむことになったことから白子っていう地名ができただ。

さて、14時15分の藤枝駅前いきバスがやってきて、のる。マナカがつかえるのが、せわがなくていい。いきとちがって、バス停ごとに停車。乗客がのってくる。青木バス停をしゅっぱつするとこで乗客は16人。信号停止中にクラッシック音楽。わが愛知県のバスじゃあきいたことはなくて、みょうなかんじだ。ところで運転士さん、のったひとがすわるまえに発車する。信号急停車もある。名鉄バスよりだいぶ運転があらい。青木1丁目バス停でふたりおりて、乗客は14人に。法務局藤枝支局バス停でふたりおりて乗客は12人になって、藤枝駅前にとうちゃく。いったん、えきたてもん1階のドトールでいっぷく。

2020.1.21 (98) 藤枝 - 豊橋いきふつう 1970-1500

藤枝15時2分の豊橋いきふつうにのる。車両は3両たす3両の6両編成で、まえ3両の313系しんがりクモハ313-2501にのっていく。座席はベンチシート。六合(ろくごう)、島田(しまだ)、金谷(かなや)、菊川(きくがわ)って停車。15時28分、掛川(かけがわ)にとうちゃく。

いったんかいさつをでて、新幹線にのりかえ。掛川15時41分の新大阪いきこだま661号にのる。座席は自由席7号車9Eにすわっていく。みぎふたりがけのまどがわ。浜松に停車。16時8分、豊橋にとうちゃく。

いったんかいさつをでて、名鉄にのりかえ。豊橋16時15分の岐阜いき特急にのる。車両は1014編成6両パノラマスーパーで、先頭の1414にのっていく。いきは特別車だったけど、かえりは一般車だ。16時36、東岡崎にとうちゃく。岡ビル1階のロッテリアでいっぷく。かいさつをはいりなおして、東岡崎17時24分の犬山いきふつう*1、しんあんじょう17時37分の西尾いきふつう*2ってのりついで、ふるいにもどる。


(さんこう)

*1:3168編成2両3150系ぎんいろ電車(ベンチシート)

*2:3520編成4両3500系きんぎょばち(ベンチシート)

*3:マナカ利用

*4:実キロ数

ラプーラルドでフランス料理 - 2020年1月26日

きょう2020年1月26日は、つまとふたりラプーラルドにいってフランス料理をたべてきた。

2020.1.26 ラプーラルド (2) 前菜 1260-900

前菜になまハムとパルメザンチーズのサラダ。

2020.1.26 ラプーラルド (3) 西洋風ちゃわんむし 940-900

スープっておもったら、西洋風ちゃわんむし。

2020.1.26 ラプーラルド (4) 牛ひれ肉のステーキ 1200-900

主菜に牛ひれ肉のステーキ。

2020.1.26 ラプーラルド (5) デザート 1200-900

デザート。

さいごに紅茶。どれもすばらしくうまかった。


(さんこう)

  • 牛ひれ肉の…|いわせあきひこ|フェースブック|2020年1月26日12:34 〔※ 限定公開〕
    • 牛ひれ肉のステーキ、うまっ! 西洋風ちゃわんむしも♪ きょうはちょっとぜいたくをして、ラプーラルドでひるごはん♪
    • 開店時は、洋品店の「いわほり」の近くだったような気がします。
      その近くに、古本屋さんもあったような気がします。
      40年以上前くらい昔の安城の記憶です。
  • フランス食堂ラ・プーラルド(安城フレンチ)のグルメ情報|ヒトサラ
    • 1979年開業。長年培われた材料を見る目と調理技術が自慢のフランス料理店
    • ジャズが流れる店内は、アンティークな小物も多くまるでフランスの郊外に居るかの様な気分にさせてくれるお店。旬の食材や高級食材をベテランシェフが確かな技術で調理し、最高の料理に仕立てます。【ラ・プーラルド】では、そんな美味しい料理がお値打ちに味わえ、またワイン好きのシェフおすすめのワインも数多く取り揃えられていますので、料理とともにお楽しみください。美味しいフランス料理を気軽に楽しめる【ラ・プーラルド】に是非一度足を運んでみてください。
    • 料理人=磯村英次(いそむらえいじ)氏(専門ジャンル:フランス料理)
      • 本格的な味で心に安らぎを感じるひとときを身近に感じてほしい。
      • 愛知県安城市(あんじょうし)出身。
      • 大阪の辻調理師学校卒業后、大阪や東京のフランス料理、イタリア料理店で実践を積む。
      • 本格的なフランス料理を地元安城市(あんじょうし)で身近な味として感じてもらいたいと1979年【ラ・プーラルド】をオープン。食材を見る目とこだわり続けた味わいを継続して40年になる。さまざまなお客様に落ち着いた雰囲気で家庭的なやすらぎをお店で感じてもらいたいと日々躍進し続けておる。
    • 住所=愛知県安城市横山町毛賀知61-1
      (県道48号線(通称ヨンパチ)の安城警察署のすぐ東)