門柱わきの由緒がき
扶桑山大鷲院
山門うらの説明がき
大鷲院(だいじゅういん)
- 扶桑山と号し、当初は天台宗。大永年間(1521~1528)曹洞宗に改宗し、一時断絶しましたが、1602年、再興されました。山門は総けやきづくり、1873年の竣工で、扁額「正法」は、維新の元勲山岡鉄舟のふでです。おおいしがきは、1816年、大飢饉のとき、難民救済の目的で築造されたものです。
- うらやまには、全山をおおういわはだに坂東・秩父三十三観音像60余体(西国三十三観音は本堂内)、弘法大師像88体の磨崖仏がほられております。明治初年のものです。また大峯山の行場霊場をうつして、新盛大峯山としております。そのほか、坐禅岩・懺悔窟・怪猫の足跡のある八丈岩などがあって、全山霊場としての雰囲気につつまれております。
〔2021年4月26日訪問〕
*1:1528のまちがい