大鷲院(だいじゅういん)の由緒がきと説明がき

門柱わきの由緒がき

扶桑山大鷲院

  • 当山は、扶桑山大鷲院と号し、当初天台宗の古刹であったが、大永年間(1521~1526*1)に心渓賢和尚が曹洞宗に改宗し、8代を経過した1593年5月やまくずれのため諸堂壊滅し断絶するにいたった。
  • その后10年をへた1602年2月、現開山心翁英孚大和尚によって再興された。ご開山は徳たかく、衆望あつく、自然に信者が雲集し、たちまちにして諸堂ができあがったといわれる。
  • 2世香山永薫和尚また傑物にしてよく教化につとめ、寺門の発展をはかり、以后歴代住職にそのひとをえてこんにちにいたった。
    2021.4.26 (13) 大鷲院 - 由緒がき 1970-1500

山門うらの説明がき

大鷲院(だいじゅういん)

  • 扶桑山と号し、当初は天台宗。大永年間(1521~1528)曹洞宗に改宗し、一時断絶しましたが、1602年、再興されました。山門は総けやきづくり、1873年の竣工で、扁額「正法」は、維新の元勲山岡鉄舟のふでです。おおいしがきは、1816年、大飢饉のとき、難民救済の目的で築造されたものです。
  • うらやまには、全山をおおういわはだに坂東・秩父三十三観音像60余体(西国三十三観音は本堂内)、弘法大師像88体の磨崖仏がほられております。明治初年のものです。また大峯山の行場霊場をうつして、新盛大峯山としております。そのほか、坐禅岩・懺悔窟・怪猫の足跡のある八丈岩などがあって、全山霊場としての雰囲気につつまれております。

    2021.4.26 (17) 大鷲院 - 説明がき(足助町観光協会) 2000-1500
    2021.4.26 (18) 大鷲院 - 説明がき(足助町観光協会) 2000-1500 2021.4.26 (19) 大鷲院 - 説明がき(足助町観光協会) 2000-1500

足助町観光協会

〔2021年4月26日訪問〕


*1:1528のまちがい