若林座

若林座

  • かつて愛知県碧海郡(へっかいぐん)高岡村(現在の豊田市若林東町)にあった劇場・映画館。1933年に高岡村北中根で製粉業をいとなんどった中野登一が開館させた。木造2階だて、1階は24畳、2階は12畳およびさじき部分をふくめて45畳ほどのひろさで、定員はおよそ120人だった。農村部としてはりっぱな劇場であり、歌舞伎、しばい、浪曲、映画などの興行をおこなった。じょうえんびには若林地区の住民はもちろん、上郷村、高岡村竹、堤、吉原の各集落から自転車でつめかけたという。近辺では知立町や挙母町までみわたしても、劇場といえば知立劇場、挙母劇場、若林座の3館しかなかった。大劇場とはことなり、地域の歌舞伎ずき、演劇愛好家や青年団の活動の一環として、歌舞伎や劇を上演するなど、地域の文化活動の一端もになっとった。
  • 戦后も若林座は活況を呈したが、テレビが普及するにつれて観客数は1955年をとうげに減少に転じた。1950年代后半にはにほん全体の映画館、客数もへっていった。1959年9月26日の伊勢湾台風でたてもんが被害をうけたため、ほのまま閉館となった。
  • 2004年1月には中野登一のまごである中野紀和男(名古屋大学生物機能開発研究センター教授)が、若林座の備品やしばい道具など110点以上を豊田市郷土資料館に寄贈した。同月から3月には豊田市棒の手会館で、「あのころの娯楽、歌舞伎、しばい、浪曲、映画」と題した若林座の回顧展が開催された。寄贈品には映画ポスター、こどうぐのさんどがさ、あみがさ、かっぱ、ひきまくや背景用の幕、しろうと演芸大会のはた、宣伝用うちわ、げそくふだなどがある。若林座のあとちには創業者一家(中野氏)が所有するアパートがたっとる。
    2021.3.9 (26) 若林交流館 - 若林座説明がき 1360-1840

(2018年3月17 - 28日、高岡コミセン「まあいっぺんみたい若林座」説明板)

〔2021年3月ここのか、若林交流館にこの説明板が掲示されとるのをかくにん〕


(さんこう)