三岸節子について

2019年6月18日、三岸節子記念美術館にいってえをみてきたほか、三岸節子についての説明がきもみてきた。

三岸節子について
2019.6.18 (21) 三岸節子記念美術館 - 三岸節子について 1060-1560
三岸節子(1905 - 1999)
1905年、愛知県中島郡起町字中島(いまの一宮市小信中島)にうまれる。旧姓吉田。名古屋の淑徳高等女学校(いまの淑徳高校)に入学。ちちの経営するけおりもんこうばが恐慌のあおりをうけて15才のとき破産。にほんがではなくあぶらえかきになりたいって猛反対する両親を説得して、16才で上京、岡田三郎助に師事。ほのあと、女子美術学校(いまの女子美術大学)2学年に編入。首席で卒業した。19才のとしのあき、画家の三岸好太郎と結婚。翌1925年、長女を出産。第3回春陽会展にはつ出品、入選。1932年、独立美術協会にうつる。おっとの急逝により、29才で3人のこどもをかかえた未亡人となりながら画家としていきることを決意。女性画家の地位向上のため、女艸会や七彩会などを結成。1935年、独立美術協会でD氏賞を受賞、翌年会友となる。1939年、独立美術協会を離脱し、新制作派教会に会員としてむかえいれられる。1947年、女流画家協会の結成に発起人として参加。1954年、はじめてフランスにわたって、およそ1年半滞在ののち帰国。1968年、再度フランスにわたる。フランスを拠点にイタリアやスペインなど各国をめぐって風景画をえがき、1989年に帰国。1983年、札幌に北海道立三岸好太郎美術館が新築、開館。1998年11月、生家あとに尾西市三岸節子記念美術館が開館。2005年4月、一宮市尾西市木曽川町が合併して一宮市三岸節子記念美術館って名称変更。
 1951年(46才)1950年度文部省かいあげ美術作品に決定
         1950年度芸能選奨(いまの芸術選奨)文部大臣賞を受賞
 1986年(81才)あきの叙勲で勲三等宝冠章を受章
 1988年(83才)尾西市名誉市民となる
 1990年(85才)1989年度朝日賞を受賞
 1994年(89才)女性洋画家としてははつの文化功労者となる
 1999年(94才)神奈川県大磯の病院で死去


(さんこう)