伊勢神戸(いせかんべ)は、みなみにかんべほんどおりにめんしてある鈴鹿市男女共同参画センターのしきちのまえに「石橋(いしばし)の由来」っていう説明がきがあって、つぎのようにかいてある。
石橋(いしばし)の由来
このあたりは以前、竜光寺(りょうこうじ)の門前町であったことから寺家と呼ばれておりましたが、神戸信孝(かんべのぶたか/織田信長の三男)の頃、真黒川(まくろがわ)という川に「石橋」が架かっとったことから石橋町とよばれるようになりました。
神戸(かんべ)が城下町として整い始めたのは、16世紀半ば頃とされております。神戸氏は城下の繁栄のため、以前は神戸の東を通っとった伊勢街道を、城下町を通過するようにしました。また、父信長にならって楽市による自由営業を認め、地子(じし/宅地税)免除し、伝馬(てんま)の制度を命じるなどして、城下の繁栄をはかりました。
この解説板の両側の支えに使われとる石柱は、橋の欄干として実際に使用されとったものを再利用しておりますが、年代が新しいので、これが町名の由来となった欄干ではないようです。
神戸町絵図
(旧十日市町伊藤家の絵図による)四日市浜田より神戸までの絵図の一部・1869年ごろのもの
〔2023年1月ここのか訪問〕