「ひびの生活とくうしゅう」

岐阜市歴史博物館にくうしゅうにかんする展示があった。

〔ひびの生活とくうしゅう〕

  • 国内資源も軍需中心にいごいたため生活用品が不足し、これに対応するため配給制が実施され、岐阜市では1940年7月からこめが対象となりました。
  • また、戦況の悪化でくうしゅうが現実的なものとなるなか、延焼防止のため、家屋強制疎開というなのとりこわしがおこなわれ、岐阜市でも3,000戸が対象となったといわれております。
  • また、くうしゅう時の消火訓練がくりかえしおこなわれましたが、バケツリレーとつちやすな、ぬれむしろなどをつかうというおそまつなものでした。
  • 1945年7月ここのかと12日の両夜岐阜市はくうしゅうをうけ、ほの被害は焼失戸数20,427戸、罹災者86,197人、負傷者515人、死者863人にのぼりました。
    2022.7.15 (20) 岐阜市歴史博物館 - 「ひびの生活とくうしゅう」 940-1200

くうしゅうってほんとに終戦直前におこっとる。あとみつきもはよ戦争やめとやくうしゅうで国民がころされることなんかなかっただ。いたずらに戦争をながびかせた軍部のつみはおもい。

〔2022年7月15日訪問〕