岐阜県は海津郡に、高須の4兄弟ってよばれて幕末維新史にのこるかつやくをしたものどもがあったっていう。
高須の4兄弟
- 高須10代藩主松平義建(まつだいらよしたつ)は10男9女にめぐまれたが、4男8女は早世した。しかし成人した6人の男子は、のぞまれて有力大名家に養子したり高須松平家をついだりして、すべて大名となった。1女は上杉家にとついだ。
- とりわけ6人の男子のうち次男義恕(よしくみ/尾張徳川慶勝(とくがわよしかつ))、五男義比(よしちか/尾張徳川茂徳(とくがわもちなが))、七男銈之允(けいのじょう/会津松平容保(まつだいらかたもり))、八男鍥之助(けいのすけ/桑名松平定敬(まつだいらさだあき))の4人は、それぞれ幕末維新史にのこるかつやくをした。よにこれを「高須の4兄弟」とよぶ。
- この写真は1878年のさつえいで、むかってみぎから徳川慶勝、一橋茂栄(ひとつばしもちはる/徳川茂徳)、松平容保、松平定敬である。幕末維新の激動期に、それぞれ数奇な運命をたどった4人のむねに去来しとったものはなにであっただろうか。
〔海津市歴史民俗資料館の展示資料から〕
〔2022年7月28日訪問〕