彦根城の佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)は彦根市開国記念館として公開されとって、中山道の鳥居本宿から彦根城下にはいる彦根みちについての展示資料もつぎのとおりある。
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- ものとひとのながれ
中山道のじょうかまちからみて鳥居本宿(とりいもとじゅく)のてまえにみちしるべがあり、そこから佐和山をこえてじょうかにはいる彦根みちが分岐しておりました。彦根みちはそとぼりにもうけられた切通御門からそとぼりのなかにはいり、内町大通となります。その内町大通のなかほどに陸運のための人足やうまのつぎたてをする伝馬町がおかれ、物流の拠点となっておりました。この佐和山ごえのかしょはきりとおしになっており、やまのおねをきりくずしてみちをとおしており、現在も常夜灯の一部をみることができます。このきりとおしがあることから鳥居本からじょうかまちまでのみちは別名「きりとおしみち」とよばれておりました。- さらにじょうかまちのみなみがわのそとぼりには高宮口御門があり、そこから高宮宿まで彦根みちはのびていきます。この部分は、別名「高宮みち」とよばれておりました。この彦根みちは中山道から彦根のじょうかまちへひとやものをひきこむバイパスのやくめをはたしており、じょうかまちの北部の外船町で松原内湖を介した湖上交通とも連絡します。内船町へは松原湊から水路がほられ、松原湊につながっており、陸上交通と湖上交通をたくみに連携させるしくみになっておりました。このふなつきで琵琶湖水運とも連絡し、流通網の拠点となっておりました。
- 彦根みちがそとぼりから城内がわにはいる位置には切通御門がもうけられておりました。切通御門は近年の発掘調査によってじょじょにそのかたちがあきらかになってきております。また、佐和山でおこなった航空レーザー測量では、きりとおしみちを明確にかくにんすることができます。
- じょうかまちの遺構
じょうかまちについては、2017年に周知の埋蔵文化財包蔵地「彦根じょうかまち遺跡」となりました。現在までに3回の発掘調査を実施しており、じょじょに彦根じょうかまちのことがわかってきております。
〔2022年8月11日訪問〕