米原湊

2022.9.15 (42) 米原えきまえ - 米原湊あと 2000-1500

あののりかええき、米原にみなとがあった。いや、ぜんぜんしんじれんけど、あっただ。ばしょはえきまえロータリーにでてすぐみぎがわ。「米原湊あと」のいしぶみがあって、ふねの模型があって、説明がきがある。

米原湊あと

  • 米原湊は、ここ米原駅付近にありました。
  • 1603年北村源十郎が琵琶湖と入江内湖(いりえないこ)をむすび、ほりを開削してみなとをひらきました。美濃方面の物資やひとを大津湊へはこぶ中継、また、京、大坂と北陸をむすぶ湖上交通の中継のみなとで、しゅくばとしてもさかえました。
    2022.9.15 (43) 米原えきまえ - 米原湊あと説明がき 2000-1500
  • 1843年には丸小船(まるこぶね)30、押切早船(おしきりはやぶね)7、艜船(ひらたぶね)15米原湊で開発された車早船(くるまはやぶね/※うえの模型)があり、明治はじめには蒸気船も運航しておりましたが、鉄道の開通によりほのやくめをおえました。

みぎうえの画像=北村源十郎家古写真
みぎしたの画像=『米原湊えず』(写真提供=滋賀大学経済学部付属資料館所蔵)

〔2022年9月15日訪問〕