2022-09-16 米原湊 あるく あののりかええき、米原にみなとがあった。いや、ぜんぜんしんじれんけど、あっただ。ばしょはえきまえロータリーにでてすぐみぎがわ。「米原湊あと」のいしぶみがあって、ふねの模型があって、説明がきがある。 米原湊あと 米原湊は、ここ米原駅付近にありました。 1603年、北村源十郎が琵琶湖と入江内湖(いりえないこ)をむすび、ほりを開削してみなとをひらきました。美濃方面の物資やひとを大津湊へはこぶ中継、また、京、大坂と北陸をむすぶ湖上交通の中継のみなとで、しゅくばとしてもさかえました。 1843年には丸小船(まるこぶね)30、押切早船(おしきりはやぶね)7、艜船(ひらたぶね)15と米原湊で開発された車早船(くるまはやぶね/※うえの模型)があり、明治はじめには蒸気船も運航しておりましたが、鉄道の開通によりほのやくめをおえました。 みぎうえの画像=北村源十郎家古写真みぎしたの画像=『米原湊えず』(写真提供=滋賀大学経済学部付属資料館所蔵) 〔2022年9月15日訪問〕