金印創業の地「金印西洋館あとち」

2022.5.27 (43) 金印創業の地「金印西洋館あとち」 2660-1780

佐屋路(さやじ)はファミリーマート二女子店(ににょうしてん)のひがしに金印わさび(きんじるしわさび)の名古屋工場があるだけど、しきちからそとむきに、歩道にめんして金印創業の地「金印西洋館あとち」って説明がきがかかげてあって、つぎのようにかいてある。

金印創業の地「金印西洋館あとち」

  • かつて、この地にモダンな西洋風建築物がありました。このたてもんは、左右に多面体の突出部をもつシンメトリーなつくりで、玄関はこしおれ状のやねやアーチ状のそでかべが装飾されるなど、意匠的にてのこんだもんでした。建築者および建築年は不明ですが、大正時代にたてられ、まちいしゃの診療所兼住居として使用しとったとされております。その后、中川運河の開削工事にあたった熊谷組(くまがいぐみ)の工事事務所や、カトリック宣教師の教会兼住居として使用しとったこともあります。そして1940年、金印の創業者小林元次(こばやしもとじ)が購入し、工場を開所しました
    (※ 中川運河開削工事は飛鳥組がもとうけ)
  • 小林家の住宅兼事務所として、まだ市場にでまわりはじめたばかりのこなわさびの開発、製造を本格的にとりくみました。加工わさびの発展を牽引したかずかずの商品は、このばしょからうまれております。
  • この西洋館は戦時中に名古屋城らが破壊、焼失した大規模くうしゅうの戦禍を奇跡的にまぬがれるなど、大正、昭和、平成、令和と激動の時代をかけぬけました。異国情緒あふれる外観は、地域のランドマークとして近隣住民からもあいされる存在でした。しかし老朽化により2020年9月にとりこわしとなり、おしまれつつもそのやくめをおえることとなりました。
  • 写真
    • 1枚め=当時のすがた
    • 2枚め=とりこわしまえのすがた(2020年9月さつえい)

〔2022年5月27日訪問〕


(さんこう)