国道1号線は小田原市民会館前交差点のすぐひがし、きたがわに大手前(おおてまえ)のいしぶみがあって、説明がきにつぎのとおりかいてある。
町名の由来は、ここが小田原城大手門につうじとったためといわれ、当時は重臣屋敷がならんどった。大手前からひがしにはしる道路は、甲州道と交差し、ほこには柵門(大手先黒門)があり、ほのさきは唐人町につうじとった。
〔2022年4月28日訪問〕
(さんこう)
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- 唐人町(とうじんちょう)
小田原北条氏時代、中国人が遭難して小田原に漂着し、その中の40余人が許されてこの地に居住したので、「唐人村」と呼ばれとったことが、唐人町の名称と関係があるものと考えられとる。唐人町の通りは、寛永年間(1624~1643年)、将軍家光の上洛に先立ち、小田原城大手門に至る御成道(おなりみち)として新設されたもので、その東端には土塁をともなった柵門(黒門)が設けられとった。
(※ 柵門と唐人町の東西の位置関係が、この文章の説明と、大手町のいしぶみの説明とではんたいになっとるようなきがする)
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