清洲は、清洲城からひがしにつづく清洲城さくらなみきの終点ちかくに、「清洲城ひがしにほん最大級の都市」の説明がきがある。
清洲城 - ひがしにほん最大級の都市 -
織田信長が小牧、岐阜、安土へ移動したあとも、清洲は尾張の政治経済の中心地でありつづけたとかんがえられております。ほの清洲をおおきくかえたのが織田信長の次男の織田信雄(おだのぶかつ)です。1585年11月に発生した天正地震を機に、信雄は伊勢国長島城から清洲城にはいり、清洲城を根本的につくりかえました。五条川のにしにあらたにいしがきをもちいた主郭をつくり、ほこに天守などのかわらぶきたてもんをたて、じょうかまちぜんたいを三重のほりでかこむそうがまえのしろへと大改修をおこないました。ほのけっか、南北およそ2.7キロ、東西およそ1.5キロもの広大なじょうかまちへと発展しました。
現在、古城あと公園内の「清洲ふるさとのやかた」ちかくには、旧堤防下で発見された本丸東部のいしがきの一部が移築復元され、見学することができます。
〔2021年10月26日訪問〕