清洲は、清洲城からひがしにつづく清洲城さくらなみきをすすんで、県道をひだりななめによこぎったとこに、「清洲城尾張守護所」の説明がきがある。
清洲城は、尾張守護所下津(おりづ/稲沢市)の別郭(べっかく)として1300年代はじめごろに築城されたといわれますが、守護代織田敏定(おだとしさだ)が1478年に尾張守護所を清洲へ移転したことでおおきく発展します。
中心となる守護館(しゅごやかた)は、復元された「清洲城天主閣」周辺にあったと想定されております。「清洲城ひろば」でおこなわれた発掘調査ではばおよそ8メートルのほりが発見され、これが一辺200メートルをこえる方形居館(ほうけいきょかん)の東北すみのそとぼりではないかと推定されております。
守護館の南北には、ほりをともなう武家やしきがたちならんでおりました。さらにそとがわでは、山王社(さんのうしゃ/日吉神社)の門前に中いちば、御園神明社(みそのしんめいしゃ)の門前に御園いちばがあったといわれ、この時期のじょうかまちはこのあたりまでひろがっとったようです。
〔2021年10月26日訪問〕