殿橋(とのばし)みなみづめから菅生川南岸堤防をちょこっとにし、しもにいって、みなみがわにおりたとこに、久后ぎれのいしぶみ(くごぎれのいしぶみ)がある。このあたりの菅生川南岸堤防を六名堤(むつなてい)っていうだけど、ほれが1882年の豪雨でここ久后崎(くごさき)の地できれて、六名(むつな)から六ツ美(むつみ)にかけての69ケ村で死者43名、浸水家屋2,000あまりっていうおおきな被害がでた。ほの追悼のいしぶみがこの久后ぎれのいしぶみだ。
題字のしたに、「43名溺死のためほの追悼これをたてる」ってかいてある。
みぎめん
みぎめんに「1889年3月」ってかいてあるのは、このいしぶみをたてたときか。
ひだりめん
ひだりめんになんにんかのなまえがかいてあるのは、このいしぶみをたてたひとたちにちがいない。筆頭に「当村総代広瀬安治郎」、末尾に「発起人鈴木庄三郎」ってかいてある。当村は久后崎村だ。
うらめん
うらめんには、久后崎村柳川政和さんをはじめとする、溺死した43人のなまえ。
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六名堤から久后ぎれのいしぶみをみおろしたとこ。みぎにあるのが久后ぎれのいしぶみで、ひだりにあるのは三郡輪中治水碑。
〔2021年6月28日訪問〕