大沼は、東大沼交差点からきたにちょこっといったとこに地頭大竜神ってのがあって、説明がきにつぎのとおりかいてある。
地頭大竜神
- この大沼の土地は、およそ2千年まえには8丁4面におよぶ大沼池であった。ほの当時付近一帯はすぎの大木のおいしげる大森林であり、ほのころよりこの大沼池に寿命8百年をたもつ大蛇が生息しとった。としとともに人類がこの土地にすまうようになり、数百年ののちにはひとの移住がさかんになるにつれ、ひとはこの大蛇をおそれて大蛇を圧迫するようになるや、大蛇もまたしだいに悪竜化してしばしばひとに危害をくわえるようになり、ひとへびの闘争はしだいに激化していった。
- およそ6百年まえ、坂東作右エ門の家中に郷之義弘というゆみやの達人あり、大蛇とたたかいて8本の命中やをもって、大蛇を誅殺した。ひとびとはほのたたりをおそれていけのいりにまつをうえ、つかをつくりてこれを供養せしに、いくばくもなくほのあとをたちたり。
- 3百年まえの郷士に助エ門というひと、さいどへびづかをたてこれを供養せしに、ふたたびまつりのあとたえ、竜神のいかりたたりとなりてむらにひとにさまざまなるわざわいをあらわし、ことさらにむらのおさたるもの有力たるものにたたりしめし。
- あらわるたまたま1954年7月、当村出身平山たま女、つかの霊魂浄化供養のための藤原霊秀により、交霊法座施法なしたるに、竜神あらわれて祀神供養をたま女にたのめり、すなわち柴田栄一竜神のたのみごとききつたえ一念発起竜神供養の悲願となり、再度竜神を招請し交霊によりて竜神に意中をうかがいたるに、竜神おおいによろこびて祀神供養をたのむこと切なり、すなわち柴田栄一祀神を約し、むらとともにひととともに守護をねがいし竜神村のさかえともろびとたすけを約し、ことさらにおんなのやまいまたこしよりしたのやまいをなおし、金銀の利益を約したれば、むらのためもろびとたすけのためすなわちこれを建立したるしだいなり。
1954年12月記
下山商工会
〔2021年7月27日訪問〕