高浜は高浜港(たかはまみなと)のえきからにしにいったとこに、土管坂っていうさかがある。さかのわきには土管坂のみちしるべと、となりに土管を3本たてにつないだ土管ばしら。
土管坂のみちしるべ
旧県道名古屋・大浜線沿いのこのあたり段留・欠戸の両台地はその地形を利用して明治以来登窯による土管製造が創められ、以后技術の改良により平地窯に転換。道路筋に土管工場が建ち並び、煙突が林立。黒煙高く活況を呈す。原材料の搬入、製品の陸海輸送のため車馬の往来極めて多く、又各種土管が常時構内に野積みされ、特異な風景を見せ住民がいつとはなくこの坂道を『土管坂』と呼ぶようになり、又街道を通行する人々からも一道標として広く親しまれた。茲に地元用業界発展におおきく寄与された先人の業績を偲ぶと共に、うすれゆく土管坂の愛称を惜しんでこれを建つ。
立地工場=日本陶管株式会社/かくまる神谷製陶所/やまもり第一工場/やまもり第三工場/やまもり第八工場/神勇製陶所|1988年9月吉日|森弥太郎|中光石材所刻
土管坂のみちしるべと土管ばしら
〔2021年6月18日訪問〕
(さんこう)