豊田は足助のおくに大鷲院(だいじゅういん)っていうおてらがあって、やまの斜面、おおきないしがきのうえに境内があるだけど、ほのいしがきにはつぎのような由来がある。
おおいしがきの由来
1816年、この地方に大暴風雨がきて、農作物は全滅し、大飢饉となり、餓死するものがでるほどでした。14世の大運夷船和尚は、この惨状をみるにしのびず、決壊した参道の修理とおおいしがきを築造して、難民を救済することとしました。まずてらの保有米を放出し、檀家、信者の有力者をといてこめの寄進をうけ、人夫賃をこめで支給しました。4,300余人がすくわれたといいます。
作業を指揮した石工のおやかたは、てこの原理を工夫するため、よなよな線香でまくらをこじることをつづけ、ついにほそ線香でまくらを自由自在にいごかすことができるようになり、おおきないしをいごかすことができたというはなしもつたえられております。
〔2021年4月26日訪問〕