六鹿清七(むしかせいひち) - 六鹿邸掲示資料

六鹿清七(むしかせいひち)

1845年~1917年

六鹿清七は、1845年、美濃国羽栗郡(はぐりぐん)円城寺村(えんじょうじむら)(いまの岐阜県笠松町)にうまれた。明治維新后、材木商をいとなみ陸軍名古屋師団の御用商人をつとめとったが、「くにのもとは農業にある」との信念から当時は原野だった高岡の新馬場(しまんば)の地にうつりすみ、開墾に着手した。清七は、枝下用水(しだれようすい)の開通をみとおして水田を造成しいくたの困難にたえ、1897年から1902年ごろ、160町歩(およそ160ヘクタール)の開墾に成功した。1911年には愛知県内開墾者表彰15名中の首位におされ、ほの功績を顕彰された。晩年にはこの六鹿邸をきずきじぬしとして地域の農業振興につくし、1917年8月ついたち、73才でなくなった。

2021.3.9 (53) 六鹿邸 - 六鹿清七(写真) 1100-960
2021.3.9 (54) 六鹿邸 - 六鹿清七 1300-1440

〔2021年3月ここのか訪問〕