江戸時代の高岡 - 六鹿邸掲示資料

江戸時代の高岡

  • 江戸時代の高岡地区は、おおむね刈谷藩領と岡崎藩領であった。
    (時代による変遷あり/別表参照)
  • むらは、中田村、駒場村(こまんばむら)、花園村、若林村、吉原村、中根村堤村乙尾村(おとおむら)、竹村、大林村、西田新があり、このうち堤村には、大島、西山、本田、本地、町〔下町(したまち)、平松、宮崎、上町(そらまち)、御茶屋〕、新馬場(しまんば)、前林のななつの集落があった。むらにはそれぞれ庄屋あるいは名主、組頭、百姓代といったむら役人がおって、むらごとにおさめる年貢納入や藩役人との事務をはじめ、他村との交渉や問題解決にあたっとった。また数か村の村務を統括する大庄屋とよばれるひともおった。
  • 江戸時代の農民は、年貢をはじめ助郷(しゅくばの人馬補充)や、つつみ、みちの普請といったさまざまな役があった。また農民は、逢妻川のみならず、ためいけをつくってみずをたいせつに利用した。しかし、みずをめぐっては、しばしばあらそいがおきた。
    2021.3.9 (48) 六鹿邸 - 江戸時代の高岡 1270-1560

〔2021年3月ここのか訪問〕