名鉄名古屋本線は二ツ杁駅(ふたついりえき)のまえに「西枇杷島問屋記念館へのご案内」っていう看板がたっとって、つぎのようにかいてある。
西枇杷島問屋記念館へのご案内
美濃路は東海道宮宿と中山道垂井宿をむすぶ街道です。美濃路のしゅくばは名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣の7宿をかぞえ、東海道と中山道のわき往還(街道)として発展しました。
江戸時代の初頭、美濃路ぞいに下小田井のいちがひらかれ、江戸の神田、大坂の天満とともににほん三大あおものいちばのひとつとして全国にほのなをしられておりました。ほのあと、枇杷島市場となをかえ、1955年に名古屋市へ市場が移転するまで330年あまりこの地域の集荷の中心地として活況を呈しました。
西枇杷島問屋記念館は、下小田井のいちの創始者のひとりといわれる山田九左衛門(やまだくざえもん)家の住宅を移築復元したもんです。このたてもんは明治の初期にたてられ、美濃路を形成してきた町屋のなかでも江戸時代のあおもの問屋の様式をつたえる貴重なもんです。
当駅地下通路をくぐり、まっすぐみなみへすすむと、美濃路につきあたります。
問屋記念館は、美濃路をひがしへ225メートルすすむとみちのきたがわにあります。
(地図を参照のこと)
〔2020年10月16日訪問〕