問屋記念館の説明がき

2020.10.16 (32) 西枇杷島 - 問屋記念館(ひだり45度から) 2000-1500
2020.10.16 (30) 問屋記念館 - 説明がき 1980-1500

美濃路西枇杷島にある問屋記念館。たてもんのそとに説明がきがあって、つぎのようにかいてある。

清須市指定文化財

問屋記念館
(旧山田九左衛門家住居)

2020.10.16 (30-1) 問屋記念館 - 説明がき 1400-880

1.旧山田九左衛門家住居は、住居部分とともに商用部分をもった併用住宅で、まぐちがせばく、とおりにわにそってへやがならぶ中二階だてで、ざしきはおくに配されるっていう典型的な問屋構造をなしとる。

1.いいつたえによれば、山田家の先祖の九左衛門は、1614年の大阪ふゆの陣のおり、徳川家康が当地の庄内川を渡河したさい、市兵衛とともにほのせわをして功をなし、問屋業をはじめたっていわれとる。のちにほこにはしがかかると、1622年、九左衛門は市兵衛とともに「御橋守掃除給」として1反4畝(1,388平方メートル)あまりの「永代除地(永久免税地)」をたまわっとる。

1.ここに復元された旧山田家住居は、明治のはやい時期にたてられ、当地の美濃路を形成してきた町屋のなかでも、江戸期の様式をつたえる価値のたかい建造物である。
また、本町は、1891年の濃尾地震で家屋の大半が倒壊するっていう被害をうけたけど、当旧山田家住居はほの被害をまぬがれたかずすくない家屋のひとつである。
なお、この家屋は1992年5月本町橋詰町51番地から現在地に移築復元された。

清須市教育委員会

〔2020年10月16日訪問〕