名古屋の桶狭間古戦場に七ツ塚(ななつづか)がある。
七ツ塚
織田信長は、義元をうちとったあと、ただちに全軍を釜ケ谷(かまがたに)にあつめてかちどきをあげ、むらびとに命じて、やますそにそって等間隔にななつのあなを一列にほらせて、おおぜいの戦死者を埋葬させた。
ほのうちのふたつが原形をのこしておりました。さとびとは七ツ塚、または石塚と称し、これをとりこわすものは、「たたり」があり、いのちをうしなったものもおったそうです。いまは、1989年の区画整理にともないつかを整備して、つかのひとつをのこし、ほの一角にいしぶみがたてられました。
有松桶狭間観光振興協議会
信長がむらびとに命じて、おおぜいの戦死者を埋葬させたもんだ。
〔2020年10月はつか訪問〕