豊明の桶狭間古戦場に『七石表』がある。
七石表(1号碑)
桶狭間のたたかいで今川義元の戦死したばしょをしめす、もっともふるいものである。
1771年、尾張藩士人見弥右衛門黍(あつし)、赤林孫七郎信之によりたてられた。
きためん「今川上総介義元戦死所」、ひがしめん「桶峡七石表之一」、みなみめん「1771年辛卯12月18日造」ときざまれとる。
「桶狭七石表」
- 1628年(戦后68年后)、斉藤徳元がかいた『関東下向道記』に江戸へむかう道中、「有松をでてみちより馬手(みなみ)にあたりてこだかき古塚あり・・・(中略)・・・義基(義元)たたかひまけてここにてはてたまひし古墳なり」とある。
- 1705年、天野信景がかいた『塩尻』のなかにえがかれとる、「桶狭間古戦場之図」の中央付近にななつのつかがえがかれとる。
- 1771年、人見弥右衛門黍がかいた『遊桶狭記』に「そのころの田楽狭間の古戦場はくらくさびしいところで、帰名后友人と相談し、古戦場にあるつかのうえに、石柱(七石表)をつくらせた」とある。
〔2020年9月21日訪問〕