拝殿みぎてまえいしぶみの社記
和志取神社社記
岡崎市西本郷町字御立鎮座
御祭神:五十狭城入彦皇子
五十狭城入彦皇子は気入彦命とも申し景行天皇の皇子で勅命によりこの地方の逆臣大王主等を捕えこれより国内治まり庶民大いに安堵したという
御墓は当町和志山にあり前方后円墳で前后35間面積776坪|周辺に6基の円墳即ち陪塚がある|1896年11月28日御陵墓伝説地と指定|その后更に調査の結果1941年4月18日御陵墓と御勅定|同年5月26日勅使御参向奉告祭が行われた
本神社は和名抄にいう鷲取郷の総社で延喜式国内115社の筆頭たる旧官社で1830年神祇伯より正一位の神階を受け正一位本郷大明神の扁額を下賜されたという|古来上下の尊崇篤く累代の領主より祭典費の献進があり祈年祭新嘗祭には幣帛を奉り宝祚無窮稔穀豊饒を祈る例であった
1874年5月25日教部省令により本神社を延喜式内三河国26座之内和志取神社確定候事との指定を受けた|1888年4月9日蓮華寺内で和志取神像が発見された|延喜年間の作と伝えられる木製の座像で本神社に鎮め祀ってある
1916年12月28日郷社に列せられた
1946年1月10日由緒上県社と認められたが戦后社格は級社と変わり7級社として現在に至っている
拝殿祝詞殿神饌殿透塀等を氏子及び特別崇敬者よりの浄財と延2千6百余人の勤労奉仕により3ヶ年の歳月を費し1955年竣工した
御末社:神宮社、御鍬社、社口社、稲荷社
和志取神社社務所
せわがかりのおじさんがくれた資料
いしぶみの社記と同一内容だけど、いしぶみの社記にはなかった浄財の額を「350余万円」って記載してある。
〔2020年5月12日訪問〕