2020年4月26日、西尾の羽角山(はすみやま)にいしぶみを発見。よめるかぎりによんでみる。
中島村牧喜九書 三河国は昔より人々花火好み其技術に熱心なる人多し 時に吹羽良村(ふきばらむら)羽角に加藤小兵なる人あり 1854年11月同村に生る 父を喜十といふ農を以て業とし世々庄屋を勤む 小兵氏幼より花火を好み家伝の書を読み大に斯道の妙に入る 夫れ花火は一種の戯技に属すると雖も 科学上の作用に依り青空に五色の彩煙を散じ暗天に金銀の火光を飛す 実に雲上燦爛の画図を描出せる一種の美術と云ふも可ならん ◆技たる大に尚武の気風を養ひ観客をして大快ならしむる高尚なる遊戯なり 祭事祝典には欠く可からざる逸興にして欧米諸国にも盛に行はる 小兵氏此技に長じ発明する所尠からず 最明流なる一派を起し招◆祭共進会に献納して時計銀杯等の賞を受く 其他各地に於て賞牌券状を得る数を知らず 故を以て其門に入者夥多惜べし 1897年眼病に罹り失明せらる 舎弟鶴次郎氏も亦其技に長え悍吉 1900年3月8日病て没す歳28 門弟集て之が碑を建んと欲し其の欠を予に乞に 予頗る火技を好むを以て敢て辞せず 即ち選す 1901年3月8日代議士早川竜介撰文篆額 岡崎両町加藤梅吉鎬 |
中島出身ではなびずきの代議士早川竜介が、となりむら羽角のはなび師加藤小兵がなくなったことをいたんで、いしぶみにほの業績をきざんだもんだった。
(さんこう)
- 三和小学校って - あきひこゆめてつどう|2020/04/27
- 1889年10月1日、貝吹村(かいふくむら)、下羽角村(しもはすみむら)、上羽角村(かみはすみむら)、下永良村(しもながらむら)、上永良村(かみながらむら)が合併し、吹羽良村(ふきばらむら)となる。
- くずし字ってなに? - 古典にしたしむ|国文学研究資料館|2018/2/14