羽角山のいしぶみ

2020.4.26 (4) 羽角山のいしぶみ 1200-1600

2020年4月26日、西尾の羽角山(はすみやま)にいしぶみを発見。よめるかぎりによんでみる。

2020.4.26 (4-1) 羽角山のいしぶみ 2520-1890
2020.4.26 (4-2) 羽角山のいしぶみ 2480-1860
2020.4.26 (4-3) 羽角山のいしぶみ 2460-1840

中島村牧喜九書

三河国は昔より人々花火好み其技術に熱心なる人多し

時に吹羽良村(ふきばらむら)羽角に加藤小兵なる人あり

1854年11月同村に生る

父を喜十といふ農を以て業とし世々庄屋を勤む

小兵氏幼より花火を好み家伝の書を読み大に斯道の妙に入る

夫れ花火は一種の戯技に属すると雖も

科学上の作用に依り青空に五色の彩煙を散じ暗天に金銀の火光を飛す

実に雲上燦爛の画図を描出せる一種の美術と云ふも可ならん

◆技たる大に尚武の気風を養ひ観客をして大快ならしむる高尚なる遊戯なり

祭事祝典には欠く可からざる逸興にして欧米諸国にも盛に行はる

小兵氏此技に長じ発明する所尠からず

最明流なる一派を起し招◆祭共進会に献納して時計銀杯等の賞を受く

其他各地に於て賞牌券状を得る数を知らず

故を以て其門に入者夥多惜べし

1897年眼病に罹り失明せらる

舎弟鶴次郎氏も亦其技に長え悍吉

1900年3月8日病て没す歳28

門弟集て之が碑を建んと欲し其の欠を予に乞に

予頗る火技を好むを以て敢て辞せず

即ち選す

1901年3月8日代議士早川竜介撰文篆額

岡崎両町加藤梅吉鎬

2020.4.26 (4-1-1) 羽角山のいしぶみ - 題字 1820-630
2020.4.26 (4-5) 羽角山のいしぶみ 1500-2000 2020.4.26 (4-4) 羽角山のいしぶみ 1500-2000

中島出身ではなびずきの代議士早川竜介が、となりむら羽角のはなび師加藤小兵がなくなったことをいたんで、いしぶみにほの業績をきざんだもんだった。


(さんこう)