2019年11月なのか、八日市駅のへんから御代参街道をみなみにいったとこで「御代参街道と八日市」っていうかんばんを発見。
御代参街道(ごだいさんかいどう)と八日市
この街道は、ふるくは伊勢道(いせみち)、北国街道、市道(いちみち)などとよばれ、東海道の土山宿(つちやまじゅく)から日野、八日市をへて中山道の小幡(おばた)へいたるわき往還である。
江戸時代のなかごろから、朝廷や仙洞御所(せんとうごしょ)の使者たちが、伊勢まいりの帰途多賀まいりをし、代参をつとめたときにとおったみちであるところから、御代参街道となづけられたといわれる。
江戸時代の后期(1800年ごろ)、とくに文化文政期には伊勢まいり、多賀まいりのひとたちでにぎわった。また、伊勢、伊賀、大和などのみなみのくにときたのくにとをむすぶ北国街道のやくわりもはたしておった。さらに、水口、日野、八日市、近江八幡、愛知川、彦根など、湖東地方のひとびとの交流や、物資の交易におおきくやくだった。
しかし、御代参街道のなが文献にあらわれてくるのは明治以降のことである。
- 八日市市史より -