2019年8月31日、岡崎城の篭田総門のあとをみにいったついでに、岡崎城下27まがりの「ほ」のみちしるべのとなりに岡崎宿本陣あとを発見した。ばしょは伝馬通1丁目交差点の東北かど。伝馬どおりきたがわ歩道のきたがわに「東海道岡崎宿にし本陣あと」のいしぶみがあって、おんなじきたがわ歩道のみなみがわに「本陣・わき本陣」のいしぶみと、うまにのって東海道をいくたびびとの像がある。ちなみに、「ほ」のみちしるべは伝馬どおりのみなみがわにある。
いや、ここって篭田総門のそとになるとこだ。宿場町のほうは岡崎城下の総がまえからそとにでたとこにつくられとっただ。ほういうもんか。
東海道岡崎宿にし本陣あと
本陣・わき本陣
本陣・脇本陣
参勤交代時代から大名や公用旅行者の宿泊所を本陣・脇本陣と呼ぶようになった。伝馬の本陣は1712年頃は中根甚太郎、浜島久右衛門の2軒であったが、后に中根甚太郎、服部小八郎、大津屋勘助の3軒が本陣、脇本陣は鍵屋定七、山本屋丑五郎、桔梗屋半三郎の3軒と推移している。岡崎東本陣(服部家)は、現在の伝馬通り2丁目交差点辺りにあり、建坪209坪半で部屋は二百畳以上、脇本陣を勤めた桔梗屋は、総坪数百二十五坪半のうち、建坪百五坪とどちらも玄関や書院を持つ豪壮な建物であった。
(さんこう)