2019年6月11日、堀川にかかる鷹匠橋をみた。
説明がきのかんばんをよんでみる。
鷹匠橋
名古屋城築城から物流をになってきた堀川にかかるはしのひとつにここ鷹匠橋があります。
はしのにしがわの区域には、「北鷹匠町、南鷹匠町」があり、かつて鷹匠がすんどったことからほのようによばれておりました。たかがりは、江戸時代に将軍や藩主などかぎられたひとだけがたのしめる特権的なレジャーとして、また軍事演習としてさかんにおこなわれておりました。鷹匠以外のひとびともたかのえさであるはとをそだてるとほうびがあたえられることなどから、おおくの町民もたかにかかわりのある生活をおくっておりました。
また、現在はたてもんにかくれてみえませんけど、当時は写真中央のはしのむこうがわに名古屋城西北すみやぐらがみえます。西北すみやぐらは、写真がさつえいされた1960年の10年まえである1950年に重要文化財に指定されております。また、このやぐらは清洲城天守に使用されとった古材を転用して建築されたことから清洲やぐらともいわれております。
写真がさつえいされた前年の1959年には伊勢湾台風によって堀川もたかしおによる甚大な被害をうけました。
このとしは名古屋城の天守閣が完成するまぢかだったため、「おしろのしゃちが台風をよんだ」っていううわさもあったそうです。
鷹匠橋は堀川にかかるはしとしてだれもがしっとるはしではありませんけど、名古屋城をちかくにながめれるばしょとして、いまもむかしもかわらずひとびとのくらしをみまもっております。
〔写真=1960年、鷹匠橋をにしからひがしへみる〕
名古屋市西区役所
なるほど、このはしのにしがわに鷹匠がすんどったで鷹匠橋っていうだ。
はしからひがしに名古屋城の天守閣がみえる。説明がきにかいてあるとおりだ。
はしをみおえて、また、堀川をきたにあるいていく。ホテルナゴヤキャッスルのかげにかくれて、名古屋城の天守閣はみえん。