2019年5月27日、起宿(おこしじゅく)の船橋河戸(ふなばしごうど)あとをたずねた。
愛知県指定文化財〔史跡〕起渡船場あと=船橋あと
一宮市起字堤町
1967年8月28日指定
船橋とは、ふねをならべてつなぎとめ、ほのうえにいたなどをわたしたはしである。
美濃路では、木曽川、境川、長良川、揖斐川のとせんばに、朝鮮通信使、将軍っていうとくべつな通行のためにのみ船橋がかけられた。
木曽川の起の船橋河戸にかけられた船橋は、全長850メートル前后、ふねのかずは270艘をこえるにほん最大の船橋で、当時は「起川船橋(おこしがわふなばし)」ってよばれた。
1764年の朝鮮通信使の来朝をさいごに、かけられることはなくなったもんの、『尾張名所図会』は、起川船橋を「海道第一の壮観」って称し、また、朝鮮通信使の一行も、船橋の壮大さを記録しとる。
一宮市教育委員会
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船橋ってのは、かわにうかべたいくそうものふねを橋脚がわりにして、はしげたにいたをわたしたはしのことなだ。起宿には渡船場(とせんば)が3か所あって、この船橋河戸が「しものわたし」になるだ。ほいで、とくべつなときにだけかけられたのがこの船橋で、1764年の朝鮮通信使がきたときがさいごになる。