3.水利施設|碧海郡農業いちらん(1934年4月碧海郡農会)

碧海郡農業いちらん(1934年4月碧海郡農会)
3.水利施設

明治用水
本郡農業発達の基礎をなすものは郡内広野8千町歩を灌漑する大動脈たる明治用水なり。みぎは文化のむかし(※ 1804年から1818年までの期間)土地の郷士都築弥厚翁の計測にはじまり、爾来としうつりひとをつたえ幾多の曲折をへてようやく明治の聖代にいたりはじめて完成したるものにして、1880年初代郡長石川一貫氏は企業者らのねがいによりときの県令安場保和氏の允許(いんきょ)をうけここに多年の願望をとぐることをえたり。これが設計は都築翁の計画にもとづき矢作川をせきて分水し郡内のほかに隣郡西加茂、幡豆の2郡の一部にわたりいまや9,829町歩をうるおすにいたれり。
〇 平和用水
電力を利用し揚水機によりて油ヶ淵の池水を揚水して300町歩のいなだを灌漑す。
〇 金山揚水
おなじく電力をもちいて揚水機により51尺の高台に揚水して約150町歩を潅漑して荒廃せる陸地をいなだに化せり。
〇 油ヶ淵悪水
2,792町歩にわたる水田の悪水を排除す。
〇 鹿乗川悪水
この区域1,360町歩の水田の排水をなす。前二者はいずれも排水溝をもうけ流化せしむ。
〇 機械排水
上郷村の一部約600町歩にわたる水田の滞水を機械喞筒(しょくとう)をもちいて排除す。
3.水利施設 730-1870
3.水利施設