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佐屋路(さやじ)は七宝小学校東北交差点の西北かどにたつ七宝焼原産地のみちしるべ。説明がきにつぎのようにかいてある。 ◇ ◇ 七宝焼原産地道標あま市指定史跡 尾張七宝は、誕生の直后から海外向けの販売を主にしとったこともあり、1882年頃から外国人が遠…
碧海郡(へっかいぐん)六ツ美(むつみ)は青野(あおの)のごうにある椿宮神明社(つばきのみやしんめいしゃ)。本社殿のひだりてまえに椿宮神明社造営記念のいしぶみがあって、つぎのようにかいてある。 ◇ ◇ 椿宮神明社造営記念 自然と水に恵まれた、ここ…
土岐市内土岐川にかかる中央橋。南岸の土岐津と北岸の泉をつなぐ中央橋。らんかんのおやばしらにすえてある陶器の芸術作品が陶器のまちらしい。 はしのうえからかわかみとおくに恵那山がみえて、南岸のやまのうえには高山城がみえる。 〔2023年1月19日訪問〕…
土岐市内高山交差点の東南かどに、きたむきに下街道高山宿のかんばんがあって、つぎのようにかいてある。 下街道高山宿 ← ← ←穴弘法経由徒歩1km 高山城跡 → → →高山区民会館経由車道2km 左ぜんこうじみち土岐宿(瑞浪)へ1里 右いせみち池田宿(多治見)へ2…
下街道(したかいどう)高山宿はとおりにめんして説明がきがあって、つぎのようにかいてある。 下街道高山宿(したかいどうたかやまじゅく) 下街道は恵那槙ケ根(まきがね)追分から名古屋城下を結ぶ中山道の脇街道でした。 中山道よりも峠が少ないため利便…
下街道(したかいどう)は高山宿に明治天皇高山御小休所のいしぶみがあって、説明がきにつぎのようにかいてある。 明治天皇高山御小休所跡 この場所は、1936年11月2日から1948年6月29日の間、明治天皇高山御小休所として国の史蹟に指定されとったところです…
下街道(したかいどう)高山宿は慈徳院の境内に明治帝御供水碑(めいじていごきょうすいひ)があって、説明がきにつぎのようにかいてある。 明治帝御供水碑(めいじていごきょうすいひ) 明治政府は明治維新以后多くの改革を行ない新しい政治体制の確立を進…
名鉄各務原線(かがみはらせん)を手力(てぢから)のえきでおりて、中山道をよこぎってみなみにいって境川をわたるてまえにてぢからお神社。由緒がきがあってつぎのようにかいてある。 ◇ ◇ 手力雄神社(てぢからおじんじゃ)御由緒 御鎮座 西暦860年旧暦9月…
駿府城はひつじさるやぐらのなかに徳川家康公歴史年表が展示してある。家康が駿府ですごしたのは、ひとじち時代の12年、5か国領時代のうちの5年、おおごしょ時代の10年のあわせて27年。 ◇ ◇ 徳川家康公歴史年表 〔駿府城ひつじさるやぐら展示資料〕 1542年、…
駿府城たつみやぐらのなかに復元した竹千代てならいのまがある。もともとは臨済寺(りんざいじ)にあったもんで、幼名竹千代時代の徳川家康がここで住職の太原雪斎(たいげんせっさい)から学問をまなんだっていう。 竹千代手習いの間(復元) この部屋は、…
駿府城はひがしごもんのなかに駿府城関連年表が展示してある。今川時代にはなく徳川家康がはじめてきずいたもんで、ほれも天正期と慶長期の2度にわたって築城しとる。 ◇ ◇ 駿府城関連年表 〔駿府城ひがしごもん展示資料〕 1582年、徳川家康、甲斐攻略。武田…
東海道を日永おいわけ(ひながおいわけ)からひだりにわかれてみなみにいく伊勢街道。神戸宿(かんべじゅく)のいりぐちに神戸みつけ(かんべみつけ)がある。おがわをわたってさかをあがっていくとこに神戸みつけがある。 説明がきがあってつぎのようにかい…
伊勢神戸(いせかんべ)は旅館あぶいのたてもんのまえに、神戸町道路元標とならんでみちしるべがたっとる。 たっとる位置は伊勢街道がふたまたにわかれるとこ。日永(ひなが)のほうからみなみにのびてきた伊勢街道が神戸宿(かんべじゅく)にはいってからし…
伊勢神戸(いせかんべ)は、みなみにかんべほんどおりにめんしてある鈴鹿市男女共同参画センターのしきちのまえに「石橋(いしばし)の由来」っていう説明がきがあって、つぎのようにかいてある。 石橋(いしばし)の由来 このあたりは以前、竜光寺(りょう…
いまはほんまるとほの一角にある天守台だけがのこる伊勢神戸城(いせかんべじょう)。説明がきにこうかいてある。 三重県指定・史跡神戸城跡 1937年12月14日指定 伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(14世紀)飯野寺家町(いいのじけ)の地に沢城…
駿府城(すんぷじょう)はにのまるばしをわたってにのまるにはいったとこに説明がきがあって、つぎのようにかいてある。 ◇ ◇ 駿府城 今から約650年前の室町時代、今川範国(いまがわのりくに)が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められ…
碧海郡(へっかいぐん)六ツ美(むつみ)は下青野(しもあおの)のごうに椿宮神明社(つばきのみやしんめいしゃ)っておみやさんを発見。 社記 鎮座地 岡崎市下青野町本郷1番地 社名 椿宮神明社 祭神 あまてらすおおみかみさるたひこのみこと椿神社御祭神 由…
にいけてんてこまつりにいったおり、にいけ八幡社境内でうっとったてんてこおこしをかってきた。ももいろのひらべったいちんぼのかたちをしたおかしで、そうとうにらくがんっぽいあじがして、まんなかにわかくさいろのあんこがはいっとる。 はこんなかに由緒…
幡豆郡(はずぐん)はにいけ八幡社の境内に清和天皇悠紀斎田旧蹟伝説地のいしぶみがたっとる。 大島徳書。 〔岡崎市悠紀の里展示資料〕 大嘗祭とは 大嘗祭(だいじょうさい)とは一体どのような儀礼を指すのでしょうか。大嘗祭は、天皇が即位の礼の后、初め…
にいけてんてこまつりにいったおり、にいけちょう公民館のひがしにおやしきを発見。いや、まわりはふつうのごうなかのふうけいなだけど、ここだけ江戸時代で時間がとまっとるみたいだ。 〔2023年1月みっか訪問〕 【にいけてんてこまつり】
墨俣宿のいりぐち。長良川のわたしをわたってひがしばしをわたったひだりに常夜灯があって、ほのわきに墨俣宿本陣の説明がきと墨俣宿とせんばの説明がきがある。 墨俣本陣跡 すのまたは古くから宿駅として発達し室町末期に上宿から中町本町西町へ街道が移り…
美濃路は、きよすじゅくから稲葉宿のかんにある四ツ家おいわけ(よつやおいわけ)でおすし街道がみぎに分岐するだけど、いしぶみがたっとってつぎのようにかいてある。 四ツ家追分 下津一宮黒田を経て岐阜へ向かう鎌倉街道后の岐阜街道と稲葉萩原起を過ぎて…
美濃路はきよすじゅくのなか五条橋をにしにわたってみぎT字を右折していくだけど、このT字路がふだのつじになっとって西北かどにみちしるべがたっとる。 みちしるべの東南めんをよんでみると「ひだり|甚目寺|つしま」ってかいてある。直進して甚目寺(じも…
美濃路は新川橋にしづめみなみがわに津島街道みちしるべがたっとって、説明がきにつぎのようにかいてある。 美濃路の歴史 美濃路は江戸時代、東海道宮の宿から名古屋・きよす・稲葉・萩原・起・墨俣・大垣を経て中山道垂井の宿に至る街道で、東海道からかれ…
庄内川の西枇杷島がわ堤防道路をおりるとにしびゆめだいこんの銅像があって、ほのわきに美濃路みちしるべがたっとる。 みなみめんに「1827年丁亥(ひのとい)7月吉日」。 ひがしめんに「にし八|つし満(つしま)てん王う(てんのう)|きよす宿|みち」。 …
滋賀県ごかしょうは金堂(こんどう)の商人やしき中江準五郎邸(なかえじゅんごろうてい)に三中井本支店所在地図と京城の百貨店激戦区っていう地図が展示してあってきょうみぶかい。三中井(みなかい)ってのは金堂の中江4兄弟が経営して、戦前に鮮満支、す…
万場大橋にしづめのみなみ、堤防道路のそとがわに秋葉社があって、ほのわきに万場のわたしの説明がきと万場宿の説明がきがある。 佐屋街道万場の渡し(まんばのわたし)〔中川まちなか博物館〕 佐屋街道は、熱田から岩塚、万場、神守佐屋を経て桑名へ渡る陸…
名古屋は万場大橋(まんばおおはし)ひがしづめの東北に七所社(ひちしょしゃ)がある。 七所社 御祭神 やまとたけるのみこと(日本武尊)|あまてらすおおみかみ(天照大神)|うかのみたまのみこと(倉稲魂命)|あめのおしほみみのみこと(天忍穗耳尊)|…
滋賀大学はしきちの東南かどに正門があって、にしむきに正門をはいったすぐみぎがわに、つまいりのかたちでひがしむきに講堂がたっとる。したみいたばりのしろいすてきな洋館だ。 講堂のみなみがわをとおっていって東北方向にふりかえってみてみると、やねご…
ひわだぶきのちゃいろとかなぐのきんぴか。かみがみのやねだ。 多賀大社本社殿。祭神はいざなぎのみことといざなみのみこと。 正面から。 みぎ45度から。 本社殿のみぎに能舞殿(のうぶでん)。ここが映画「線は、ぼくをえがく」をさつえいしたとこで、湖山…