2021-03-10から1日間の記事一覧

六鹿広尾(むしかひろお) - 六鹿邸掲示資料

六鹿広尾(むしかひろお) 六鹿広尾は、清七夫人である。実家である本宗寺(岡崎市美合町)山門には、六鹿家から寄贈された石柱があるという。 〔2021年3月ここのか訪問〕

六鹿邸(むしかてい)について - 六鹿邸掲示資料

六鹿邸について 六鹿邸は、1907年にたてられた和風建築である(はなれ部分は1898年建築)。邸内には、現存の土蔵のとなりにまあ2棟土蔵があったほか、表門付近には年貢米を収納するくらがあったという。おもやの大黒柱はけやき材、はしらはつが材がつかわれ…

六鹿清七(むしかせいひち) - 六鹿邸掲示資料

六鹿清七(むしかせいひち) 1845年~1917年 六鹿清七は、1845年、美濃国羽栗郡(はぐりぐん)円城寺村(えんじょうじむら)(いまの岐阜県笠松町)にうまれた。明治維新后、材木商をいとなみ陸軍名古屋師団の御用商人をつとめとったが、「くにのもとは農業…

堤村絵図 - 六鹿邸掲示資料

堤村絵図 1823年の堤村絵図。江戸時代后期のむらのようすがよくわかる。堤村には、新馬場村、前林村、町村(平松、宮崎、下町、上町、御茶屋)、本地村、本田村、西山村、大島村のななつのむらがあった。 〔2021年3月ここのか訪問〕

高岡地区の変遷 - 六鹿邸掲示資料

高岡村(1906.5.1) → 高岡町(1956.5.1) → 豊田市(1965.9.1) 竹村 大林村 竹村 西田新郷 若園村 若林村 吉原村 中根村(北中根村) 花園村 駒場村 駒場村 中田村 堤村 乙尾村 堤村 町村 平松 宮崎 御茶屋 上町 下町 本地村 新馬場村(しまんばむら) 本…

明治大正期の高岡 - 六鹿邸掲示資料

明治大正期の高岡 明治以降、あたらしい行政区再編のなかでむらの合併がすすみ、1889年には、駒場村、若園村、堤村、竹村の4か村、さらに1906年5月ついたちには、この4か村が合併して高岡村となった。 近代の高岡にとっておおきなできごとは、枝下用水(しだ…

江戸時代高岡の村別領主いちらん - 六鹿邸掲示資料

村別領主いちらん(江戸時代) 大林村 ふるくは上野荘という。1617年、渡刈村から分村。 岡崎藩 - 1645年~1769年幕府 - 岡崎藩 竹村 ふるくは重原荘という。源義経の臣、鈴木七郎が開拓という。 刈谷藩 - 1630年西尾藩分家旗本本多氏(西端陣屋) - 元禄(1…