小川志茂城あとのいしぶみ - 2020年1月にじゅうよっか

2020年1月にじゅうよっか、本城公園にある小川志茂城(おがわしもじょう)あとを訪問。説明がきのいしぶみをかくにん。

2020.1.24 (7) 小川志茂城あと - いしぶみ 2000-1500
本城の由来
本城公園の一帯は小川城のあとで、いまからおよそ500年のむかし、1446年、石川政康が築城し、そのこ康長春重の3代の居城となったところであります。石川氏の一族は代々松平氏(のちの徳川家)につかえ、清兼康正家成数正の諸将は岡崎城代をつとめた歴史上有名なひとびとであります。小川城のきた、的場(まとば)の地は、織田軍と松平勢とのいくさのおりに石川一政が戦死したところでもあります。そのご、石川氏のやかたのあったところを康正とよび、しろあとは郷土の史跡をしのんでか、本城といいつたえられてきました。
1977年7月
文化財保護委員鈴木和雄氏記

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1446年、石川政康が築城。政康から康長、春重3代の居城。一族のうち、清兼、康正、家成、数正は岡崎城代をつとめる。しろのきた的場は織田と松平のいくさで一政がなくなったとこ。石川氏のやかたのあったとこが康正、しろあとが本城っていいつたえられてきた。

本城公園と蓮泉寺の位置図(あきひこ) 840-700