起宿の宮河戸あと

2019年5月27日、起宿(おこしじゅく)の宮河戸(みやごうど)あとをたずねた。

2019.5.27 (49) 起 - 宮河戸あと 1350-1800 2019.5.27 (49-1) 起 - 宮河戸あと 330-1480
ここは起渡船場3か所のうち宮河戸ってよばれ、かつては大明神社のおてあらいにもちいられ、みずすじ変更または通行混雑のとき渡船に使用された。

2019.5.27 (50) 「史跡起渡船場あと~宮河戸あと~」 1760-1340
愛知県指定文化財〔史跡〕起渡船場あと=宮河戸あと
一宮市起字堤町
1967年8月28日指定
起渡船場(おこしとせんば)には上中下の3か所のわたしばがあった。大明神社(だいみょうじんじゃ)のにしにある木曽川を「宮河戸(みやごうど)」、俗に「八百清河戸(やおせいごうど)」って称した。もとはおてあらいばでもあったけど、ふなにのあげおろしがされとった。
対岸の渡船場は、美濃国中島郡新井村(あらいむら)(いまの岐阜県羽島市正木町新井)の灯明河戸(とうみょうごうど)ってよばれとった。
宮河戸は、大藩の木曽川渡船など、金刀比羅社のある定渡船場(じょうとせんば)(かみのわたし)だけでは渡船が困難なときに使用された。たとえば、1861年の皇女和宮(かずのみや)の下向は当初、美濃路の通行が計画されており、ほのときこの宮河戸の使用も計画された。
一宮市教育委員会

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美濃路は起宿から木曽川をわたって美濃のくににつながるだけど、起宿には渡船場(とせんば)が3か所あって、この宮河戸がまんなかの渡船場、「なかのわたし」になるだ。ただ、3か所のうち中心はかみのわたしで、かみのわたしだけじゃさばききれんときだけ、このなかのわたしがつかわれただ。まあ、臨時の渡船場ってわけだね。