法界門堰 - 2014年5月撤去

2018.11.12 (97) 五条川 - 法界門堰あと 1600-1200
2018.11.12 (98) 五条川 - 法界門堰説明がき 2000-1500
一級河川五条川にあった法界門堰(※ たぶん「ほっかいもんぜき」ってよむ)
尾張のくにが木曽川の大洪水でおおきな被害をうけ、豊臣秀吉木曽川堤防の原型をつくったっていわれております。関ヶ原の合戦后、豊臣家の侵攻から尾張藩をまもる軍事目的のため、徳川家康の命により、清洲城とほの周辺のまちを名古屋城とほの周辺にうつす清洲ごしがなされ、木曽川の左岸づつみは右岸づつみよりおおきい「御囲堤」として犬山から弥富にいたるおよそ47キロにきずかれました。
「御囲堤」がきずかれると、木曽川から濃尾平野へながれとった支流をすべてせきとめ、農業用水としてかわのみずが活用できんくなったため、木曽川左岸づつみには「般若杁」や「大野杁」などが尾張藩直営でつくられ、宮田用水の原型となり、さいしょの法界門堰は江戸時代の1624年につくられました。もともと木曽川の氾濫原(はんらんげん)であった広大な濃尾平野は、かわ、用水、排水が複雑にいりまじった地形でしたけど、現在は木曽川の犬山頭首工から農業用水用のパイプラインが整備され、やくめをおえた法界門堰は2014年5月に河川改修とあわせて撤去されました。

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訪問び=2018年11月12日