1.碧海郡の一般状況|碧海郡農業いちらん(1934年4月碧海郡農会)

碧海郡農業いちらん(1934年4月碧海郡農会)
1.碧海郡の一般状況

イ.位置および面積
本郡は愛知県の中央部三河部の西南隅にくらいし、ひがしは矢作川をもってさかいし、にしは境川をへだて、尾張の知多、愛知の両郡にあいたいし、みなみは幡豆郡に接し、きたは西加茂郡の丘陵につらなる、東西3里32町、南北4里20町あまりにして面積18方里あまりなり。
ロ.地勢、土質および気候
本郡は北部が西加茂郡に接したるところどころこだかく起伏せる丘陵地あるも、そこより南部はしだいにひくく平野となりて一帯に耕地としてひらけ、河川はおおく西南にながれてうみにそそぐ。そのおもなるものに矢作川境川逢妻川、猿渡川などあり。そのほか明治用水をはじめかずおおくの灌排水路は南流して約1万5千町歩のたんぼをうるおしおれり。
土質
地層は第3紀新層および第4紀新層と古層、すなわち洪積層と沖積層の3層よりなる。しこうして第3紀層は郡の北部富士松、高岡および上郷村などにおおく、砂礫粘土の累層よりなりて第4紀古層、すなわち洪積層の地は郡の大部分をしめ、第4紀新層すなわち沖積層の地はもっぱら河川の流域地すなわち矢作川境川逢妻川、猿渡川などの沿岸地帯、すなわち上郷村、矢作町、六ッ美村、桜井村、知立町、刈谷町、富士松村などの一部これに属す。
気候
最高摂氏32度あまり、最低零下4度7分にして概して温和なり。
ハ.沿革
本郡は往古青海郡と称せしも、のちに碧海郡とよばるるにいたれり。けだし郡名の起源は海水ふかく湾入して海面なりしによるもののごとし。徳川幕府末期には多数の諸藩ならびに旗本らの領地雑然としてたがいに錯綜しおりたるも、廃藩置県1871年11月額田県の管轄となり、ついで愛知県に編入せられ、1906年県下町村の廃合おこなわれて現時の16か町村となり、大字数155あり。
ニ.戸数および人口
1933年度において総戸数3万1,431戸、人口17万1,248人なり。
ホ.交通状態
本郡は比較的交通機関にめぐまれて図にしめすごとく省線東海道線は郡のほとんど中央部を東西に貫通しこれに平行して愛知電鉄あり。なお三河鉄道そのほかの会社線はほとんど郡の周辺をまわり、ほかに分岐線として中央部より南下するものもあり。そのほか国道、県道、里道など四通八達の状態にして、かつ郡の西南端は海岸にして交通運輸ともに便なりとす。
1.碧海郡の一般状況 1400-1900
1.碧海郡の一般状況