ふるいのえきに8時55分の吉良吉田いきふつうがはいってくる。車両は4両編成の鉄仮面。
(さんこう)
- ふるいから女子大小路まで - 2019年9月11日 - あきひこゆめてつどう|2019/09/11
- きょう2019年9月11日、うな重をたべに名古屋は女子大小路までいってきた。
ふるいのえきに8時55分の吉良吉田いきふつうがはいってくる。車両は4両編成の鉄仮面。
(さんこう)
西幡豆13時30分の吉良吉田いきふつうにのる。車両は6011編成2両の6000系かんつうがた。シート配列はベンチシートで、まどにぬのカーテンがついとる。にしにすすんで、13時39分、吉良吉田にとうちゃく。下車。のりかえかいさつをとおって、吉良吉田13時45分の佐屋いき急行にのる。しゃりょうは3531編成4両の3500系きんぎょばち。きたにすすんで、14時10分、桜井にとうちゃく。下車。かいさつをでて、アピタでいっぷく。
桜井のえきにもどって、さいしょにきた佐屋いき急行はみおくり。車両は4両編成の6000系統鉄仮面。
つぎにきた桜井16時51分のしんあんじょういきふつうにのる。車両は6804編成2両の6800系鉄仮面で、シート配列はベンチシート。きたにすすんで、16時55分、ふるいにとうちゃく。下車。うちにかえる。
(さんこう)
名古屋からセントレアいき特急が2分おくれででていくのをみおくる。車両は2200系こおろぎ。
つぎにきた名古屋18時3分の豊橋いき特急にのる。やっぱりちょこっとおくれとる。車両はパノラマスーパーで、特別車2号車10Dにすわっていく。みぎまどがわではしらまえ。神宮前でおんなの車掌さんに交代。事故のためおくれるっていう車内放送がはいる。
18時28分の定刻から3分おくれで、しんあんじょうは5番のりばにとうちゃく。下車。
2番のりばに移動。いつもなら18時32分にとうちゃくしておりかえし18時37分の西尾いきふつうになる電車が、しゅっぱつ時刻直前になってとうちゃく。のりこんで、しゅっぱつ。車両は3527編成4両の3500系きんぎょばち。みなみにすすんで、みなみあんじょうに停車。はんたい電車のおくれで、おくれてしゅっぱつ。
18時45分の定刻から4分おくれでふるいにとうちゃく。下車。うちにかえる。
(さんこう)
2019年9月よっか。笠置山にあそんだあと、笠置のえきからかえる。
ちょっとはやめにかいさつをはいったとこで、ひがしから列車がホームにはいってくる。のる予定の亀山いきふつうとはんたいの加茂いきふつうだ。
ホームに停車。まっとったひとたちがのりこんでいく。車両番号はキハ120-14。おれがひるまえに亀山からのってきたのとおんなじ車両だ。列車はつぎのえきであり終点である加茂のえきにむかって、にしにでていく。
(さんこう)
2019年8月31日、岡崎城の篭田総門のあとをみにいったついでに、岡崎城下27まがりの「ほ」のみちしるべのとなりに岡崎宿本陣あとを発見した。ばしょは伝馬通1丁目交差点の東北かど。伝馬どおりきたがわ歩道のきたがわに「東海道岡崎宿にし本陣あと」のいしぶみがあって、おんなじきたがわ歩道のみなみがわに「本陣・わき本陣」のいしぶみと、うまにのって東海道をいくたびびとの像がある。ちなみに、「ほ」のみちしるべは伝馬どおりのみなみがわにある。
いや、ここって篭田総門のそとになるとこだ。宿場町のほうは岡崎城下の総がまえからそとにでたとこにつくられとっただ。ほういうもんか。
東海道岡崎宿にし本陣あと
本陣・わき本陣
本陣・脇本陣
参勤交代時代から大名や公用旅行者の宿泊所を本陣・脇本陣と呼ぶようになった。伝馬の本陣は1712年頃は中根甚太郎、浜島久右衛門の2軒であったが、后に中根甚太郎、服部小八郎、大津屋勘助の3軒が本陣、脇本陣は鍵屋定七、山本屋丑五郎、桔梗屋半三郎の3軒と推移している。岡崎東本陣(服部家)は、現在の伝馬通り2丁目交差点辺りにあり、建坪209坪半で部屋は二百畳以上、脇本陣を勤めた桔梗屋は、総坪数百二十五坪半のうち、建坪百五坪とどちらも玄関や書院を持つ豪壮な建物であった。
(さんこう)
ふるい9時25分のしんあんじょういきふつうにのる。
みなみあんじょうに停車。吉良吉田いき急行といきちがい。
きたあんじょうに停車。きたあんじょうとしんあんじょうのあいだで、線路のひだりがわにコンクリートまくらぎがつみあげてあるのをかくにん。きのまくらぎからかえるだ。
9時32分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。下車。名古屋本線にのりかえ。
(さんこう)
2019年8月31日、岡崎城の篭田総門のあとをみにいったついでに、岡崎城下27まがりの「へ」のみちしるべのとなりに明治のみちしるべを発見した。
ひがし面は、ひだりむきにみなみをゆびさすえのしたに「きらみち」。吉良につながるみちっていう意味だっておもう。
きた面は、みぎむきににしをゆびさすえのしたに「西京いせ道」。西京は京都のことで、東海道を京都方面にいけるとともに、伊勢につながるみちにもいけるっていう意味だっておもう。
にし面は、ひだりむきにきたをゆびさすえのしたに「東京みち」。東海道を東京方面にいけるっていう意味だ。きたをゆびさしとるのがおかしいっておもうかもしれんけど、東海道は岡崎城下で27まがりになっとって、この交差点からはいったんきたにちょこっといってからひがしにむかうだ。
みなみ面は「明治二己巳(つちのとみ)年十二月建之(これをたてる)」ってかいてある。1869年にこのみちしるべをたてただ。
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(さんこう)