きょうの岩倉いきふつう - 2018年11月12日

2018.11.12 (116あ) しんあんじょう - 岩倉いきふつう 710-1280

じつにまっかっかだ。しんあんじょうは3番のりばからしゅっぱつする岩倉いきふつうを2番のりばからとった。


(さんこう)

田口鉄道モハ14

2018.11.17 (72) 田口線モハ14 - 車内 2000-1500

田口鉄道モハ14をみてきた。訪問したのはきょう2018年11月17日で、展示してあるばしょは田口のまちに隣接するこやまのてっぺんにある奥三河郷土館。豊鉄バスの田口線廃線あとツアーに参加していってきた。

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バスから

2018.11.17 (34) 田口線モ14 - 本長篠いき 1600-1200

バスが奥三河郷土館につくまえからモハ14はみえる。

よこから

2018.11.17 (35) 三河田口 - モ14 2000-1500
2018.11.17 (36) 三河田口 - モハ14 1600-1200
2018.11.17 (63) 三河田口 - 駅名板 1600-1200

スレートぶきのホームうわやのあるホームにモハ14はおさまっとる。

先頭から

2018.11.17 (37) 田口線モハ14 - 清崎いき 1200-900
2018.11.17 (41) 田口線モハ14 - 清崎いき 2000-1500
2018.11.17 (42) 田口線モハ14 - 清崎いき 2000-1500
2018.11.17 (43) 田口線モハ14 - 清崎いき 2000-1500
2018.11.17 (43-1) 田口線モハ14 - 清崎いき 1400-1290

先頭のほうからホームにのぼれるようになっとって、のぼっていってみる。

車内のようす

2018.11.17 (61) 田口線モハ14 - 車内 2000-1500
2018.11.17 (72) 田口線モハ14 - 車内 2000-1500

電車は両運転台。

2018.11.17 (44) 田口線モハ14 - 車内 2000-1500
2018.11.17 (60) 田口線モハ14 - 車内 2000-1500
2018.11.17 (73) 田口線モハ14 - 車内 2000-1500

装飾をほどこされたうつくしい車内。

車内展示品

2018.11.17 (45) 田口線モハ14 - 旅客運賃表 2000-1500

旅客運賃表がある。新名古屋まで500円か。国鉄からさらに名鉄にまでのりいれとっただ。

2018.11.17 (46) 田口線モハ14 - 硬券きっぷ 2000-1500
2018.11.17 (59) 田口線モハ14 - 硬券きっぷ 2000-1500

なつかしい硬券きっぷ。

2018.11.17 (56) 田口線モハ14 - 田口線線路 2000-1500

往時の線路のようす。

2018.11.17 (57) 田口線モハ14 - 田口線廃止20周年 2000-1500

田口線廃止20周年のちらし。

2018.11.17 (58) 田口線モハ14 - 鳳来寺駅舎 2000-1500

往年の鳳来寺駅舎。

側面から

2018.11.17 (62) 田口線モハ14 - 車内 2000-1500

なかとびらからホームにでる。

2018.11.17 (74) 田口線モハ14 - 側面 2000-1500
2018.11.17 (76) 田口線モハ14 - 側面 2000-1500

側面をみる。

2018.11.17 (75) 田口線モハ14 - モハ10がた 2000-1500
2018.11.17 (79) 田口線モハ14 - 田口鉄道 1600-1200
2018.11.17 (80) 田口線モハ14 - 田口鉄道 1620-1200

田口鉄道のモハ10がただ。

2018.11.17 (77) 田口線モハ14 - 清崎いき 2000-1500

ホームのないがわの側面もかくにん。


萱津神社とかやぬひめ

萱津神社由緒

2018.11.12 (108) 萱津神社 - 拝殿 1600-1200
2018.11.12 (107) 萱津神社由緒 2000-1500
萱津神社由緒 - 御祭神(ごさいじん)=鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)
尾張のくに神明帳(じんみょうちょう)に従三位(じゅさんみ)萱津天神と所載(しょさい)。貞治本国帳に従一位上萱津天神としるす。むかし草ノ社(かやのやしろ)または種の社(くさのやしろ)と称し、和歌でしられる阿波手の杜(あわでのもり)に神鎮まりす古社であります。
太古民族が肥沃な地をもとめうつりすみ、この地にのをつかさどる鹿屋野比売神を奉祀(ほうし)したのがはじまりとされる。
当時の住居はかやぶきやくさぶきのもんであったことからたてもんのかみと崇敬をえるとともに、全国ゆいつのつけもんのかみ、また、縁むすびのかみとしてひろくご崇敬をえとる。
日本武尊(やまとたけるのみこと)御東征の途、参拝あり。また、代々の国司、国守の崇敬あつく室町時代初期には国守萱津左京太夫頼益公が神田60貫文を寄進し、元和年間(1615年から1624年までの期間)にはときの藩主徳川義直公より香の物料として石高5石8斗あまりの農地の寄進をうけ明治(1868年から)初年までつづいた。昭和(1926年から)にはいり社殿のご造営、境内の整備をおこない、終戦時には県社あつかいの神社にみとめられた。
こんにちの本殿は1947年に、拝殿は1973年に、会館は1999年にそれぞれご造営がなされたもんである。
【おもな祭典(特殊神事)】
〔献榊祭(縁むすびまつり)=4月第2にちようび、献詠祭=7月第2にちようび、香の物祭(つけもんまつり)=8月21日、例祭=10月ここのか〕
境内きたがわに香の物殿、連理の榊奉安殿がまつられとる。
萱津神社社務所(電話 052-444-3019)

かやぬひめ

2018.11.12 (100) 萱津神社 - かやぬひめ 1550-2500
2018.11.12 (100-1) 萱津神社 - かやぬひめ 760-860
2018.11.12 (101) 萱津神社 - かやぬひめ説明がき 2000-1500
鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ) - つけもん祖神
萱津神社はののかみカヤヌヒメをおまつりしております。むかし、このあたりはうみべだったで、ひとびとはやさいとしおを神前におそなえしておりましたけど、あるとき、ほどよいしおつけもんになりました。以来、ひとびとはめがみのおくりもんとしてたいせつにつたえてきました。
ほのあと、ここをおとずれたヤマトタケルが「やぶにこうのもの(神物)」ってとなえ、ほれがつけもんをあらわす「こうのもの」ってなったそうです。
1992年4月11日
彫刻家 長房一洋

2018.11.12 (102) 萱津神社 - 香の物発祥の地 2000-1500
2018.11.12 (103) 萱津神社 - 香の物発祥の地 1600-1200
こうのもの発祥の地
当社はのをつかさどる鹿屋野比売神をまつるわがくにでゆいつのつけもんの祖神であります。人皇12代景行天皇のみよ、日本武尊ご東征のみぎり当社におたちよりのさい、むらびとがつけもんを献上し長途のおなぐさめをするとともに、ほの霊験あらたかなことなどをおはなししたところ、みことはご賞味されたいへん感慨ぶかげに、「やぶにこうのもの(神物)」っておおせられたってつたえられる。
このおことばは、こんにちつけもんをあらわすこうのものの語源になったっていわれております。
ここ萱津神社がほの発祥の地です。
この古事をとうとび、みことが熱田の地にまつられたあと、むらびとはほのむかしをしのび熱田神宮の四大祭に特殊神饌として献進されております。
ことし、熱田神宮香乃物献進旧儀復興100年をことほぎ詠す。
「瓜茄子に塩もち添へてつけこめる阿波手の宮に捧ぐみ祭」
2016年8月吉日
萱津神社宮司 青木節夫

2018.11.12 (106) 萱津神社 - かやぬひめ 2000-1500
2018.11.12 (104) 萱津神社 - かやぬひめ 1500-2000
2018.11.12 (105) 萱津神社 - かやぬひめ 1500-2000

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訪問び=2018年11月12日


法界門堰 - 2014年5月撤去

2018.11.12 (97) 五条川 - 法界門堰あと 1600-1200
2018.11.12 (98) 五条川 - 法界門堰説明がき 2000-1500
一級河川五条川にあった法界門堰(※ たぶん「ほっかいもんぜき」ってよむ)
尾張のくにが木曽川の大洪水でおおきな被害をうけ、豊臣秀吉木曽川堤防の原型をつくったっていわれております。関ヶ原の合戦后、豊臣家の侵攻から尾張藩をまもる軍事目的のため、徳川家康の命により、清洲城とほの周辺のまちを名古屋城とほの周辺にうつす清洲ごしがなされ、木曽川の左岸づつみは右岸づつみよりおおきい「御囲堤」として犬山から弥富にいたるおよそ47キロにきずかれました。
「御囲堤」がきずかれると、木曽川から濃尾平野へながれとった支流をすべてせきとめ、農業用水としてかわのみずが活用できんくなったため、木曽川左岸づつみには「般若杁」や「大野杁」などが尾張藩直営でつくられ、宮田用水の原型となり、さいしょの法界門堰は江戸時代の1624年につくられました。もともと木曽川の氾濫原(はんらんげん)であった広大な濃尾平野は、かわ、用水、排水が複雑にいりまじった地形でしたけど、現在は木曽川の犬山頭首工から農業用水用のパイプラインが整備され、やくめをおえた法界門堰は2014年5月に河川改修とあわせて撤去されました。

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訪問び=2018年11月12日


甚目寺歴史民俗資料館 - 古地図と甚目寺観音の歴史

古地図

甚目寺村絵図(1841年)
2018.11.12 (83) 甚目寺民俗資料館 - 甚目寺村絵図(1841年) 1910-1720
2018.11.12 (84) 甚目寺民俗資料館 - 甚目寺村絵図(1841年) 1160-300

甚目寺村絵図(1826年)
2018.11.12 (85) 甚目寺民俗資料館 - 甚目寺村絵図(1826年) 2000-1900
2018.11.12 (86) 甚目寺民俗資料館 - 甚目寺村絵図(1826年) 1370-750

甚目寺観音の歴史

2018.11.12 (87) 甚目寺民俗資料館 - 甚目寺観音の歴史 1130-1650
甚目寺観音の歴史
甚目寺観音は飛鳥時代(寺伝:597年)に建立(こんりゅう)されたってつたえられておりますけど、はっきりとした創建年はわかっておりません。しかし1990年と1992年におこなわれた本堂たてかえにともなう発掘調査では、遺物からすくなくとも7世紀后半には、堂宇(どうう)が存在しとったことがかくにんされました。
創建より甚目(はだめ)氏の私寺として存在した甚目寺観音は、鎌倉時代になると両者の関係がうすれ、地縁によって維持されるようになりました。またこの時代一遍上人(いっぺんしょうにん)のえまきもの『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』(国宝)をつうじ、尾張霊場としてほのなは全国にしられたようです。
戦国時代末期には、歴代の尾張の支配者から200貫の寺領をうけ、ほいで1595年清須城主となった福島正則(ふくしままさのり)(あま市出身)は、1597年に仁王像を奉納しております。江戸時代、寺領は豊臣時代の300石が維持され、尾張三十三所観音(おわりさんじゅうさんしょかんのん)と尾張四観音(おわりしかんのん)のひとつとしておおくの参詣者が甚目寺をおとずれました。
現在でも節分会(せつぶんえ)においては、恵方のとしともなや境内をうめつくすひとびとでにぎわいます。

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訪問び=2018年11月12日


甚目寺にはいってくる須ヶ口いきふつう - 2018年11月12日

2018.11.12 (60) 甚目寺 - 須ヶ口いきふつう 1920-1500

甚目寺は2番のりばに9時59分の須ヶ口いきふつうがはいってくる。車両は5304編成SR車。ところで、このホームのきたがわに側線があって、いつもあたらしい塗装のパノラマスーパーがとまっとるだけど、このときはおらんかった。駅員さんにきいてみたら、まんだこの時間帯はおらんだけどあとになってくるっていうことだった。さらに、むかしは特急北アルプスがとまっとったじゃないかってきくと、ほのとおりだった。ただし給油塔は撤去されてあとかたもないとのこと。


(さんこう)

5000系ぎんいろ電車の弥富いきふつう - 2018年11月12日

2018.11.12 (6) 東岡崎 - 弥富いきふつう 1600-1200
2018.11.12 (7) 東岡崎 - 弥富いきふつう 1200-900

東岡崎は2番のりばに7時25分の弥富いきふつうがはいってくる。車両は5009編成4両5000系ぎんいろ電車。ところで先頭の5109、方向幕と車両番号の数字がりょうほうとも車両のほぼ中央にある。だいたい名鉄の車両って車両番号の数字は車両のはしっこにちかいほうにあるだけど、こいつは例外的だ。この5009編成も5109以外はやっぱり車両番号の数字は車両のはしっこにある。なんで5109だけってかんじだ。


(さんこう)